プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 トロイラスとクレシダ編」

わしがちいこい頃、夏になったら父親の生家がある岡山県の山間部に長期滞在したもんやった。子供に都会にない生活を体験させようという両親の考えから、父親の兄のところに預けたんやと思う。当時わしの住んでた家は国鉄の木造官舎で都市ガスが来ていたが、トイレは水洗式やなかった。電気は来ていたが、風呂は共同浴場やった。父親の田舎では水道と電気は都会と同じように使えたが、ガスはそうは行かんかった。プロパンガスと薪の併用で、特に驚いたのは、薪で焚く五右衛門風呂やった。当時、高校生になったばかりのその家の三男がいろいろ教えてくれたが、都会育ちのわしにとってはハードルが高いもんばっかりやった。深さ2.5メートルほどもある滝壺のようなところに跳び込めと言われたり、結構激しく水が流れている堰の上を対岸まで行けと言われたり、小学校の校庭でバイクのエンジンを掛けろと言われたもんやった。当時、わしは純真な小学生やったから、いろいろ教えてくださるのはありがたいが、わしにはできませんという顔をして何とかその場をやり過ごそうとしたんやが、その人は、一生懸命に教えているのに態度が悪いなあと思われたのだろう。ある日その人は、いちびりはトロいと言い出した。岡山弁で鈍くさいということやが、愛知県でも同じ言葉を使うようや。話は変わるんやが、紀元前12世紀の頃、ギリシアとトロイが対立しとった。その時の話で有名なのは、木馬を使って、ギリシアがトロイを攻略したという話やが、わしが小さい頃に大きな木馬の中に人や武器が入れられるところを絵か映画で見たような気がする。わしが幼少の頃というのは今から4、50年前やから、ブラッド・ピット主演の「トロイ」(2004年)ではなくて、1956年制作の「トロイのヘレン」やと思うねんけど、ようわからん。最近、船場は『トロイラスとクレシダ』を読んだ言うとったから、そのあたりのことを知っとるかもしれん。いっぺん訊いてみたろ。おーい、船場ーっ、おるかーっ。はいはい、トロイの木馬のことですね。残念ながら、『トロイラスとクレシダ』にはトロイの木馬は出てきません。トロイラスとクレシダの悲しい話とトロイの名将ヘクトルが鎧を脱いで休憩を取っている時にアキレウスを始めギリシアの武将が寄ってたかって襲い掛かるに至るまでを描いたという感じです。読後感はすっきりしないですね。そやけどトロイもヘレネを人質に取ったりしたんやろ。そうですね『トロイラスとクレシダ』の悲しい話もトロイに欠かせない武将アンテノルと引き換えにクレシダをギリシアに引き渡すということをパンダロスが提案したところから、始まりました。そのパンダロスはトロイラスとクレシダの逢引を設定してその上泊るところまで世話をするのですから、行き当たりバッタりというか、マッチポンプというかとても変なおじさんだなと思いました。そやけどトロイの木馬も出てけーへんし、ヘクトルとアガメムノンがガチンコ勝負をするっちゅーわけでもない。映画「トロイ」でブラッド・ピットが演じるアキレウス(映画ではアキレス)みたいな知将が活躍するわけでない。トロイラスが主役らしい、かっこいいところを見せて活躍するわけでもないし、トロイラスが悲劇的な最期で終わるわけでもないちゅー戯曲なんやけど、オーディエンスは何を楽しんだらえんのんかと思うんや。にいさんがそう言わはるのはもっともですが、私は、戦いの前に当時のギリシアとトロイの武将がずらりと並んで、顔見世興行のように仲良く(休戦中なので)ならんで会話をするところや、トロイラスとクレシダが熱々の恋人同士で仲睦まじくしているところは観客は楽しんで見られるんじゃないでしょうか。そやけど最後はギリシアに捕らわれ、そこでディオメデスの猛烈アタックに負けて、トロイラスからもらった小物(袖)をあげてしまうのは、あんなに親しくしていたのになんやねんと思うたわ。まあそれも最後の戦いの場面を盛り上げるためのプロットというか...。「トロイラスとクレシダ」は中世の物語で、シェイクスピアが戯曲の中で合体させたものなので、存在しなかった人物トロイラスがギリシア人の誰かに殺害されるという悲劇にしなかったのかもしれません。私はこの戯曲を楽しんで、読みました。ほたら、また松岡和子訳のシェイクスピアを読むんやな。どれにするんや。そうですね、次は『オセロー』を読みたいと思っています。