プチ小説「マーラー好きの方に(仮題)」

大川は、3回生になる前に下宿を変わることにした。1、2回生の時はアパートを借りていたが、学生同士の交流がなくサラリーマンのような生活だったし、もっと違う学部の学生と交流できないものかと考えたからだった。大学から徒歩で20分のところに木造2階建てですべての部屋が4畳半一間、うすい壁板が1枚、入り口の扉は木製、トイレは共同、風呂はなしという下宿があった。
大川がそこでの生活を始めたのは年度が変わってからだったが、最初の頃は大学図書館に遅くまでいたり、同級生の下宿で過ごしたりすることが多く、午後9時から10時に自分の下宿にいることはなかった。ゴールデンウィークが明けた、土曜日は大雨の予報だったので、早く下宿に帰って、のんびりクラシック音楽でも聴こうかと思った。午後8時頃から、モーツァルトのクラリネット協奏曲やシューベルトのピアノ五重奏曲「ます」を聴いていると、隣の部屋で籠ったようなホルンの音が、たたんたーん、たたたた、たたたたーんと聞こえて来た。大川は、あっ、ワルター指揮のマーラー「大地の歌」だと独り言を言って耳を澄ませた。しばらくして、テノール歌手ユリウス・パツァークが、「デゥンケル・イスト・ダス・レーベン・イスト・デア・トッド(生は暗く、死も暗い)」と歌うとその隣の住人も唱和した。
この曲には、同じ歌詞が3度出て来て、2度目に隣のクラシック・ファンがそれに応えて、「デゥンケル・イスト・ダス・レーベン・イスト・デア・トッド」と叫び、最後に二人が同時に「デゥンケル・イスト・ダス・レーベン・イスト・デア・トッド」と唱和すればお友達になれるという伝説が当時の大川が通う大学の学生の間で流布していた。
大川はもちろん2度目の「デゥンケル・イスト・ダス・レーベン・イスト・デア・トッド」を歌ったが、それが終わると廊下に出て「大地の歌」聞こえてくる隣の部屋の前に立った。そして「デゥンケル・イスト・ダス・レーベン・イスト・デア・トッド」を高らかに歌った。
扉が開いて出て来たのは、大川より年上のように見えた。その男性は微笑みを湛えて、大川に話しかけた。
「唱和してくれたのは君かな。友だちになってくれるんだったら、コーヒーを入れるけど、どうかな」
「ええ、是非お願いします。お邪魔します。あなたもクラシック・ファンなんですか」
「そうなんだけど、正確にはマーラー・ファンというか。彼が作曲した交響曲のファンなんだ」
「ぼくは高校生の頃から、広く、浅くしかクラシックを聴いてこなかったんです。でもこのワルターの「大地の歌」は第1楽章が素晴しくて、何度も聴きました」
「最後まで、70分余りいつも聴くの」
「...そうですね。いつも3曲目くらいで針をあげてしまいますね」
「そうだよね。僕もそうなんだ。まるで結果が出ないとそわそわしてくる学生みたいに。この曲の最後の楽章は、カスリーン・フェリア―の名唱で、それがこの曲の聴きどころと言われているけど30分近く聴くのはしんどい。それなら有名な第3楽章の青春についてを聴いて終わりにしようと思う人が多いと思う。この曲を聴くと、何事も行儀よく最後まで聴くのがよいのではなくて、つまみ食いも学生の頃には許せるんじゃないかと...勝手に思ったりして」
「そうですよね。ぼくも、学生の頃は「運命」は最初の楽章だけで十分な気がします」
「でも、僕の場合、マーラーは最後まで聴いている」
「全部ですか」
「そうだよ。でも、やっぱり、一番好きなのは、第3番だね。アバドの名演、聴いたことがある」
「残念ながら、マーラーの曲を聴くのは、卒後の楽しみにしています。ラジカセで再生できるとは思えないし、高級ヘッドフォンを使ったとしても無理じゃないかな」
「そうだよなあ、僕みたいにラジカセにヘッドフォンを繋いで一日中マーラーを聴いているのは珍しいかもしれないなぁ。僕も来春に大学を卒業して生活にゆとりが出来たら、高級オーディオ装置を購入して君を招待するよ。当面はそれを励みに一所懸命に仕事頑張るよ」
「マーラーを聞かせてもらえるのを楽しみにしています」

大学を卒業してからも大川は隣の住人(川上さん)と手紙のやり取りをしていたが、ある日、川上から、家に遊びに来ないかとの手紙が来た。大川も川上も卒業してからは地元に帰っていて、遠く離れて住んでいたが、大川はさっそく休みの日に新幹線で川上の故郷の街へと向かった。
(続く)