プチ小説「シューベルト好きの方に(仮題)」

法学部の建物存心館の地下にある食堂で井上が食事をしていると、中島がうどんを盆に乗せて席にやって来た。
「やあ、元気にしてる」
「まあまあだよ」
「そんな、言い方をして、友人にはもっと愛想よくしなくちゃいけないと思うよ」
「君を友人とは思っていないよ」
「そんなことを言って...よし、わかった。僕が君の悪い病気を治す方法を教えてあげよう」
「そんなもの、必要ないよ」
「まあ、聞け。君が最近不愛想になったのは、ある作曲家の音楽にのめり込んだからだと思うんだ」
「最近、のめり込んでる作曲家だって」
「そう、例えば、ベートーヴェンなら、熱い心で難局に挑む」
「僕は別に難局に挑む必要は今のところないから」
「モーツァルトなら、美しい旋律を心行くまで楽しみたい」
「モーツァルトの音楽はただ明るく楽しいだけじゃないんだぜ」
「バッハなら、音楽のことを知り尽くした熟練の技を楽しむとか」
「うんうん、それは言えてるかな」
「ショスタコーヴィッチやプロコフィエフやバルトークは君が嫌いな作曲家だが、それでも人嫌いにさせるということはない」
「人嫌いだって、僕がそうだと言うのかい」
「そうさ、この前、みんなで植物園に花を見に行こうと誘っても、君は他に用があると言って来なかった。市立美術館にアンリ・ルソーを見に行こうと言っても、自分は風景画しか見ないと言ったり」
「何がいいたいのかな、君は」
「そんなこんなの原因が、ある作曲家の音楽にのめり込んでいるということにあるということさ」
「まさか」
「この前、君はシューベルトの「死と乙女」、弦楽五重奏曲、ピアノ・ソナタ第21番それから歌曲集では、「白鳥の歌」もいいけれど、「冬の旅」がいいと言っていた」
「それがどうかしたのか」
「シューベルトの未完成交響曲、交響曲「ザ・グレイト」、8曲の即興曲、八重奏曲、ピアノ五重奏曲「ます」、アルペジョーネ・ソナタ、ピアノソナタ第20番あたりを聴いている時は、明るかった君の表情が、歌曲集「美しき水車小屋の娘」を聴き始めたあたりから、表情に翳りが出始めた。シューベルトの3大歌曲は旋律は躍動的なものもあって馴染みやすいものばかりだけれど、その歌詞の内容は暗いものが多い。旋律を楽しむだけなら問題ないかもしれないけれど...弦楽五重奏曲、ピアノ・ソナタ第21番 、歌曲集「白鳥の歌」はシューベルトがこの世との決別のために作曲したのだから、その思いが曲に乗り移っていると言える。感受性の強い若者がそんなある意味危険な音楽にのめり込むのは好ましいことではないよ」
「それは正しいことを言っているのかもしれないが、虎穴に入らずんば虎子を得ずと言うじゃないか。また若いうちは何事も体験とも。ぼくはシューベルトの心に沁みる音楽は、決して人を落ち込ませるとは思っていない」
「でも明日への活力とはなり得ない」
「それは求めるものが違うよ。シューベルトの静かな音楽を聴くのは、元気になりたいからと言う人はほとんどいないだろう。シューベルトの死と隣り合わせの静かで孤独な境地に自分を置くことで得られるものがあるんだ。だからみんな」
「死の境地とか孤独とかになればいいと言うのかい」
「それは...」
「そうでないとは言えないだろう。だからたまに聴くのはいいのかもしれない。でも一度に「死と乙女」と「冬の旅」とピアノ・ソナタ第21番をまとめて聴くのは危険だ。未完成やザ・グレイトならいくら聴いてもいいけど」
「うーん、君の言うことがわからないでもないから、しばらく従って見るよ。でもシューベルトの代わりに何を聴けばいいのかな」
「そりゃー、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」とかブルックナーの交響曲第7番なんかがいいんじゃないのかな。クラシック音楽のことなら、君の方が良く知っているんじゃないか。他のジャンルの音楽でもいい」
「そうだなー、あやうく、人嫌いになって、引きこもりになってしまうところだった。シューベルトの音楽は素晴らしいけれど、余りに自省的な音楽だから、君が言うようにちょっと危険なところがあるかもしれない」
「と言いながら、元に戻ると困るから、1か月後、もう一度君と話をさせてほしい」
「......」
「シューベルトのレコードを廃棄せよと言っているのではないから、安心して。たまになら、「冬の旅」を聴いてもいいんだよ」

(続く)