プチ小説「プッチーニ好きの方に(仮題)」

卒業を間近に控えた土曜日の午後、小川と井上はクラシック音楽の話に花を咲かせていた。少し間をおいて、井上は小川に話掛けた。
「もうすぐ卒業なんだけど、それで連想するクラシック音楽というのはあるのかな」

「そうだなー、学生ではないけれど、ボヘミアンの貧しい若者たちの生活を生き生きと描いたオペラに、プッチーニの「ラ・ボエーム」というのがある」
「まあ、卒業とはあまり関係なさそうだけれど...。やっぱり、学生生活の雰囲気があるのは「ラ・ボエーム」だよね。ロドルフォとミミの恋愛を中心に学生のように気ままな生活を描いているね。ロドルフォは詩人、マルチェッロは画家、ショナールは音楽家、コッリーネは哲学者になるのを目指して、パリで貧乏な生活をしている。大家から家賃を督促され、飲めず食えずの貧窮した生活だが、将来は明るいと信じて、明るく陽気に生活している」

「そこにミミが現れて、カンテラの火を貸してくださいと...。ひとりの女性が現れて、彼らの生活は賑やかで潤いのある生活に変わる。マルチェッロと親しくなったムゼッタを加えて、貧しいなりに幸せな生活になるのかなと思っていたところ、ミミが病魔に侵されて、悲しい話へと変わっていく。最後のロドルフォの絶唱はいつまでも余韻を残すアリアだと思うけど、「冷たい手を」「私の名はミミ」「私が街を歩けば」などたくさんの魅力的なアリアが歌われる」
「ミミが亡くなって物語が終わるというだけでは悲しみだけが残るのだけれど、このオペラは4人の男性の描写が素晴しく、第2幕ではマルチェッロとムゼッタ、第3幕ではロドルフォとミミの恋愛感情がよく描けている。こういう若者の恋愛を素直に描いたオペラというのは異色と言えるんじゃないかな」

「そうだね、プッチーニで言うと、「トゥーランドット」は豪華絢爛なグランドオペラだし、「蝶々夫人」は日本を舞台にした蝶々さんとアメリカの海軍士官ピンカートンの物語だし、「トスカ」は気性の激しい女性トスカが恋人カヴァラドッシを救うために悪徳警視総監スカルピアに立ち向かうが、最後は悲劇で幕となるし、どちらかと言うと身近な親近感が持てるものとは言えない。でもボエームのマルチェッロやコッリーネは、京都の町にも似たようなやつがいそうな気がする」
「「冷たい手を」が歌われるところなんて憧れるなぁ。ある日、停電でなかなか復旧しなくて、同じアパートに住む女性が、「懐中電灯か蝋燭をお持ちじゃありませんか」、とか言って僕の部屋に訪ねて来て」

「まあ最近は町が明るいし、コンビニでなんでも買えるから、そんな夢のようなことは起こらないだろう」
「何て夢のないことをおっしゃる。ところで、レコードはどれがいいんだろう」

「指揮者、歌手ともに素晴しいのは、セラフィン盤だと思う。僕もこのレコードが一番いいと思っている。カラヤン盤はロドルフォ役のパヴァロッティが際立っている。ヴォットー盤ではカラスがミミを歌っているが、イメージが合わない。ビーチャム盤ではロス・アンヘレスがミミを歌っていて、こちらは落ち着いて聴けるような気がする」
「ミラノ・スカラ座で一生に一度でいいから「ラ・ボエーム」を見たいけど、この歌劇はは日本の歌劇団もよく取り上げるから、卒業したら一度見に行こうよ」
「よーし、約束したよ」


(続く)