プチ小説「ブルッフ好きの方に(仮題)」
小川と井上は、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のオイストラフ盤を聴き終えると柳月堂を出た。ふたりはふたばで田舎大福を購入すると、近くのベンチに腰掛けでそれを食べ始めた。2つ食べたところで、井上が小川に声を掛けた。
「やっぱり、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲のベストは、ハイフェッツ盤ではなくてオイストラフ盤だよね」
「そうだね、クリュイタンス指揮フランス国立放送管弦楽団のしっかりしたサポートでのびのびとオイストラフが演奏している。ハイフェッツの演奏はテンポが速すぎるから、別の曲を聴いているようだ」
「でも、ハイフェッツの演奏が白熱化していて感動的だという人もいるよ」
「ハイフェッツは、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ「クロイツェル」でも白熱した速弾きをしているレコードがある。それも面白い演奏だと思うけど、作曲家が五線譜に書いたものを忠実に再現しているかどうか。演奏家は解釈して演奏するんだけど、作曲家としてはこれだけはきちんとしてほしいというところがあるんじゃないかな」
「そうなんだ。でも僕はそういうハイフェッツの演奏が新鮮に感じるんだけど...ところで、この前話したように、三大なんとかの話をしないか。今日は、ヴァイオリン協奏曲ということでどうだい」
「いいよ。まず、ベートーヴェンは外せないと思うけど、どうかな」
「ベートーヴェンの代わりに、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を入れる人もいる」
「むしろメンチャイの方が...」
「ごめんちゃいって、なんで君が謝らないといけないんだい」
「違うよ、メンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を合わせてこう言うんだよ。この二つはひとつのレコードに録音されることが多いし、作曲家の名前の字数も多いしね」
「小川君はそのふたつとも入ると思うのかな」
「メンデルスゾーンは誰もが認める三大ヴァイオリン協奏曲のひとつじゃないかな。僕はチャイコフスキーもいいけど、ブラームスの方が好きかな。そんな感じで、3つに絞るのが難しくて、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を足して、5大ヴァイオリン協奏曲にすることが多い」
「そうだよね、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームスでは、ドイツ・オーストリアものばかりになってしまうから。僕は、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番やスコットランド幻想曲も好きなんだけど」
「スコットランド幻想曲は、ラロのスペイン交響曲と同様に、明らかにヴァイオリン協奏曲とは違う。ブルッフ自身もヴァイオリン協奏曲第3番とか名付けず、幻想曲で通したからヴァイオリン協奏曲の中には入れられないだろう。でもヴァイオリン協奏曲第1番の方は7大ヴァイオリン協奏曲の中にだったら入れられるかもしれない」
「するとあとひとつ必要だね。何がいいのかな」
「バッハのヴァイオリン協奏曲第1番か第2番、モーツァルトの第3番か第5番{トルコ風」もいいけど、ロマン派のパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番、演奏が極めて難しいと言われるシューマンのヴァイオリン協奏曲、愛らしいサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3番なんかはどうかな」
「僕は個人的に、サン=サーンスが好きだなあ。それを入れて7大ヴァイオリン協奏曲としようよ」
(続く)