プチ小説「フランク好きの方に(仮題)」

浪人時代からクラシック・ファンの秋山は京都の大学に入ると、出町柳にある名曲喫茶柳月堂を訪ねた。大型スピーカーから流れ出る妙なる楽器の音色に魅せられた秋山は学生時代だけでなくこれからもずっとここを訪れようと思った。それからしばらくして三条河原町近くにある本屋で、東京にもいくつか名曲喫茶があって、その中には柳月堂に比肩する再生装置を持つ名曲喫茶があるということを知った。
思い立ったが吉日ということで、気ままな大学生活を送っている秋山は翌週の土曜日には、朝一番の東京方面行きの各駅停車に乗っていた。何度か乗り換えて(中には快速もあったが)、横浜まで行く頃には午後3時近くになっていた。秋山は、鞄の中の夜行バスのチケットを確認しながら呟いた。
「帰りの夜行バスの出発が、午後11時だから、2つか、3つは名曲喫茶に行きたいな。そうだ最初は、渋谷の名曲喫茶ライオンに行こう。リクエストを受け付けてもらえたらいいな。ライオンではオーケストラの醍醐味を味わえる曲をリクエストしよう。そうだなー、メータ指揮の「シェエラザード」なんか頼んでみようかな。なければマゼールやアンセルメでもいいか。その次は阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンだな。ここはライオンより小さなお店だから、ピアノ協奏曲がいいかな。ちょっと暗いけど大好きな、モーツァルトのピアノ協奏曲第24番を掛けてもらおうかな。演奏はもちろん、カサドシュのピアノ、セル指揮クリーブランド管弦楽団で...そのあと何とか、中野の名曲喫茶クラシックに行けたらいいんだけど」

秋山は、2つの名曲喫茶でリクエストを掛けてもらって大満足だった。中野駅近くの食堂で夕食を澄ますと、午後9時近くになっていた。名曲喫茶クラシックの店内に入ると、モーツァルトの交響曲第40番の第1楽章が掛っていた。
「この曲はだいたい30分くらいの曲だから、この曲が終わるのは、9時半くらいかな。午後11時には東京駅の八重洲口に行かないといけないから、30分くらいの曲をリクエストしよう。ロマン派の曲がいいかな。でもこの店に置いていないレコードを置いていないのをリクエストしても仕方がないな。ここは老舗で1950~60年頃のレコードが多そうだから、カザルス・トリオのメンデルスーゾーンのピアノ三重奏曲第1番を掛けてもらおうかな。いや、待てよ、ここでは、黒板にチョークでリクエスト曲を書くようになっているんだ。「リクエスト曲をどうぞ」と書かれてある。あまり長いのは収まらないから、メンデルスゾーンはやめにして、フランクのVnソナタとだけ書いておこう。ジャック・ティボーとアルフレッド・コルトーの演奏がかかるといいな」

「ふーっ、何とか間に合った。僕のリクエストの前にハイフェッツのサラサーテ チゴイネルワイゼンが掛った時はどうなることかと思ったけど...自分でリクエストしたんだから、最後まで聴かないとルール違反になるし...でも希望するリクエスト曲を3曲とも掛けてもらったし、東京まで来た甲斐があったな」
秋山が八重洲口の長距離バスセンターに着いたのは、出発の10分前だった。
「行きも帰りも夜行バスだと5,000円くらい浮くけど、朝の5時ごろ東京についても、名曲喫茶ライオンの開店時間の午前11時まで6時間も潰さなければならない。もう少しお金に余裕ができたら、午前の新幹線で東京に行き、名曲喫茶ライオンに直行。ライオンでリクエスト曲を掛けてもらったら、午後からは中古レコード店巡り、一泊して翌日は、名曲喫茶ヴィオロンと名曲喫茶クラシックで自分のリクエストを聴いて帰られるようになりたいな。そうだ名曲喫茶ヴィオロンでは、自分の企画したライブの催しをさせてもらえるようだな。もうプレミアム盤を集めたら、レコードコンサートのことをマスターに訊いてみようかな」
夜行バスの窓を通して、満月が出ていた。月が秋山に微笑みかけてるようだった。


(続く)