プチ小説「ラヴェル好きの方に(仮題)」

大宮と千代子は、いつものように土曜日の午後に賀茂川べりを歩いていた。彼らが散策の際に交わすのは、クラシック音楽のとりとめのない話だった。
「僕はラヴェルの音楽が好きになれない。代表作の「ボレロ」はわかりやすい音楽の代表と言えるけど、あれだけ同じ旋律を繰り返されたんでは、飽きっぽい僕の忍耐が切れてしまう。「ダフニスとクロエ」の中の女性の溜息のようなコーラスはセクシー過ぎて他の人と一緒に聴くのが恥ずかしい気がする。2つのピアノ協奏曲も美しい旋律がなく、構成美があるのかもしれないが、とても味気ない気がする」
「そうかしら、私は、「亡き王女のためのパヴァーヌ」はすてきな曲だと思うわ。ら~らららら~らら らら~って口ずさんでしまうほどよ。小曲だけれど心に残る音楽だわ」
「ラヴェルはバレエ音楽をたくさん作曲しているが、それらはバレエの添え物のような気がするんだ。「ボレロ」や「ダフニスとクロエ」以外にも、「ラ・ヴァルス」「マ・メール・ロワ」「高雅で感傷的なワルツ」を作曲しているけど」
「そうかしら、バレエは音楽と踊りの両方が良くなければ盛り上がらないわ、チャイコフスキーやストラヴィンスキーが作曲したバレイ音楽にフランスを代表して敢然と立ち向かっているのがラヴェルだと思うの。そうだ、「マー・メール・ロワ」は組曲があって、ポール・パレ―指揮デトロイト交響楽団の演奏がすばらしいと書いてあったわ。柳月堂には置いてないかもしれないけど、いつか聴いてみたいわ」
「パレ―は、マーキュリー・レーベルに名盤(名録音)を残している。独特のマイク・セッティングにより曲の魅力を引き出していて、ベルリオーズの「幻想交響曲」、フランクの交響曲、ラヴェルとドビュッシーの管弦楽作品の録音は特に優れていると聞いている。「マー・メール・ロワ」はアンドレ・クリュイタンス指揮の演奏で聴いたことがあるけど、面白くなかった」
「それは真面目な演奏で、肩が凝っちゃったんじゃないかしら。遊び心がある方がいいと思うの。確かガイドブックによると、パレ―盤が組曲で、クリュイタンス盤はバレエ音楽の全曲盤で内容も大分違っていたわ。内容が濃い気がするから、私は断然、パレ―を聴きたいわ」
「実は、僕もパレ―盤の組曲「マー・メール・ロワ」は名演と聴いている。でもデトロイト交響楽団がウィーン・フィルやベルリン・フィルのレベルの演奏をしてくれるか疑問に思っているんだ」
「でも古くは、モントゥー指揮サンフランシスコ交響楽団のベルリオーズ「幻想交響曲」は名盤と言われているし、ジョージ・セルはクリーブランド管弦楽団にたくさんの名演を残しているわ。要は名指揮者がいかにその楽団の機能を精一杯引き出せるかにかかっているんじゃないかしら」
「君の言う通りだと思うよ。一度、柳月堂でラヴェルを聴いてみようかな。何がいいと思う」
「クリュイタンス指揮パリ音楽院管弦楽団演奏のラヴェルのレコードがいくつか出ているけど、「亡き王女のためのパヴァーヌ」が入ったレコードがあるから、一度聴いてみましょうよ。「マ・メール・ロワ」みたいなことはないと思うわ。クリュイタンス盤なら柳月堂にもあるかもしれないし」
「よし、じゃあ、次の給料が出たら、柳月堂に行くことにしよう」


(続く)