プチ小説「J.シュトラウス(2世)好き(?)の方に(仮題)」
今年還暦の太田は長年のクラシック愛好家だったが、好き嫌いが激しい性格のため、好きでない作曲家の音楽はほとんど聴かなかった。嫌いな音楽家の筆頭は、プロコフィエフで「ピーターと狼」以外の曲は、美しい旋律のないアイロニーに満ちた音楽と思っていた。次にバルトークが嫌いで、「管弦楽のための協奏曲」以外は、何度聴いても耳に馴染む旋律が存在しなかった。3番目に嫌いなのが、ショスタコーヴィチで交響曲第5番「革命」以外は、キーッという音だけが耳に残って、聴取後不快になるのでほとんど聴かなくなった。
J.シュトラウス2世は、ラデツキー行進曲を作曲した、J.シュトラウス1世の長男で世界的に人気があり、本場ウィーンでは、ニューイヤーコンサートで大々的にシュトラウス・ファミリーの音楽が紹介されるし、嫌いだと言ったら、白い目で見られそうな気がしたが、太田は、J.シュトラウスの音楽も嫌いだった。
それはなぜかと、太田はしばしば自分に問いかけたが、その顕著な理由が、喜歌劇「こうもり」にあるという結論に辿り着いた。「こうもり」の登場人物のほとんどの男性がアルコールが手放せない人ばかりで、アル中同士が悪ふざけをするというストーリーのような気がして、ワーグナーの「タンホイザー」やプッチーニの「ラ・ボエーム」とはえらい違いだなと思ったからだった。主要な男性の登場人物のほとんどがワイングラスを片手に、冗談を言い合う、そんなのが楽しいのかなと思い、好きになれなかったのだった。そんな気持ちが波及して、「美しき青きドナウ」「ウィーンの森の物語」はすばらしいと思っても、いくつかのポルカや「こうもり」序曲を聴くとアルコールの臭いがぷんぷんして、聴くのをやめてしまうのだった。
ある日、太田は思い余って、職場の同僚の細田に自分の考えを打ち明けた。
「そうですか。太田さんは、J.シュトラウスがお嫌いなんですね。ぼくはBGMでワルツをよく聴きますけど」
「BGMか、それなら聞き流すだけだから、お酒の匂いが漂っても気にならないか」
「また、そんなことを言って。シュトラウスが大好きな人がいるんですから、その人が聞いたら怒りますよ」
「僕が嫌いなのはJ.シュトラウスで、R.シュトラウスは好きな作曲家なんだ。僕に気に入られたいのなら、「ツァラトゥストラはかく語りき」「アルプス交響曲」「ドン・キホーテ」のような長大な深みのある音楽を書いてみろと言いたいところだ」
「でも、J.シュトラウス2世は没後、120年余りになるんですから、作曲して見ろと言われても無理ですよ」
「とにかく、J.シュトラウス2世の音楽は、高級ワインの臭いが付いてきてしまう。オペレッタの作曲家レハールの作品、喜歌劇「メリー・ウィドウ」は酒の臭いは漂わない。レハールは喜歌劇「ほほえみの国」ですばらしいアリア「君こそ我が心のすべて」を残しているが、喜歌劇「こうもり」の男性歌手は酒に酔っているので、名アリアも歌えない」
「そこまで言わなくてもいいと思いますが、太田さんが言いたいことはわかりました。ここでひとつ話しておきたいことがあります」
「何かいいことがあるのかい」
「いいえ。今度、銀行から出向して来られ、次長になられる方が大のJ.シュトラウス・ファンで、今年のニューイヤーコンサートを見るためにわざわざウィーンまで行かれたと聞いています」
「そうか、それならいっぺんJ.シュトラウスのどこがいいのか訊いてみよう」
「それは名案かもしれませんね」
(続く)