プチ小説「ハイドン好きの方に(仮題)」
井上のサークルの先輩でクラッシック音楽愛好家の人がいて、一緒に名曲喫茶によく行ったものだった。その先輩はリクエストする曲が決まっていて、井上はいつもその理由を知りたいと思っていた。
ある日、名曲喫茶に寄っての帰り道、その先輩と別れるまで少し時間があったので、井上は思い切って、その理由を訊いてみた。
「あのお、いつもコーヒーを奢っていただいて、恐縮なんですけど、先輩はなんで、ハイドンの弦楽四重奏曲第78番「日の出」しかリクエストしないのか、知りたいんですが...」
「ははは、君の気持はよくわかるよ。クラシックの名曲は五万とあるのに何でまた、余り知られていない「日の出」を掛けるのかと。もちろん理由はあるんだよ」
「あるんですか。で、そ、それはなんなんでしょう」
「井上君は、クラシック音楽に貢献した人は誰だと思う。ヨハン・セバスティアン・バッハかな」
「ひとりではないと思います。モーツァルトもベートーヴェンもシューマンもショパンもワーグナーも...」
「ヴィヴァルディもブラームスもヴェルディもドビュッシーもチャイコフスキーもドヴォルザークもR.シュトラウスも大きな貢献をしていると思う。でもハイドンはモーツァルトとベートーヴェンと同じ時代を生きた先輩として、お手本となるようなことをして見せたと思うんだ」
「と言いますと」
「彼の作品は有名なオペラ作品こそないが、交響曲、各種協奏曲、室内楽曲、独奏曲、宗教曲と水準の高い作品を残している。モーツァルトやベートーヴェンのようなメロディメーカーではなかったけれども、幅広い分野で後の人のお手本になるような作品を残している。代表曲として思い浮かぶのは、いくつかの交響曲といくつかの弦楽四重奏曲くらいだけれど、じっくり聴いてみると、協奏曲やソナタの中に味わい深い名曲があるのがわかってくる」
「僕は最近発見されたクラリネット協奏曲はすばらしい作品だと思います。でもこれは、クラリネット奏者、ディータ・クレッカーの名演があるからかもしれない。それからピアノ・ソナタ第49番はホロヴィッツの演奏をよく聴きます」
「僕の場合、弦楽四重奏曲第78番「日の出」がそうなんだ。君も第1楽章の出だしのところを聴いたことがあるだろう」
「日の出を彷彿とさせるところですよね」
「そう、そこを聴くとぼくは「今日も頑張ろ」という気持ちになるんだ。そんなふうにしてハイドンの楽曲は僕を応援してくれるし、音楽史に多大な影響を与えたということに敬意を表して、名曲喫茶では「日の出」をリクエストすることにしているのさ。ずっとイタリア四重奏団のレコードを聴いていたが、最近になって、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団のレコードもあると聞いたから、CDを探してみようと思うんだ」
「「日の出」はタートライ四重奏団のレコードも一度聴いてみてください。僕も他の名曲を探してみます」
「君がよかったら、パパ・ハイドンの名曲を一緒に探さないか」
「そうですね。またいいのが見つかったら、真っ先に先輩に報告します」
「そうか、それは有難い。待っているよ」
(続く)