プチ小説「ビゼー好きの方に(仮題)」

クラシック音楽ファンの森下は、週末にYouTubeでクラシック音楽を聴くのを楽しみにしていた。今日はビゼーの交響曲第1番を検索してみた。するとマルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏で聴くことができることがわかり、早速、聴いてみた。
<ビゼーは歌劇「カルメン」が代表作と言える。音楽的には申し分なく、全曲通して聴くことも苦にならない。でもこのオペラは、ジプシー女カルメンの生き方に疑問を感じる。僕はCDを購入して、対訳を見て、このオペラが嫌いになった。音楽が良けりゃいいじゃないかという人がいるかもしれないが、僕には、カルメンは不道徳な話だと思う。...とは言え、ビゼーの管弦楽曲のいくつかは素晴らしいと思っている。この交響曲は、第2楽章が甘く切なくて魅せられるが、ビゼーの音楽にはそんな魅力的な旋律がいくつかある。といっても他には、「アルルの女」第2組曲のメヌエットくらいなんだけど。マルティノンが残したビゼーの録音は名演と言われていて、この交響曲第1番の他、「アルルの女」第1、第2組曲、組曲「カルメン」、組曲「美しきパースの娘」、小組曲「子供の遊び」も一聴の価値があるようだ。マルティノンと言えば、その他のフランス音楽も名盤を残していて、ベルリオーズの「幻想交響曲」、フランクの交響曲、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」、ドビュッシーやラヴェルの管弦楽曲集なんかもフランス音楽の精髄を表現していると言われている。それから、忘れてならないのは、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」だろう>
森下がレースのカーテンを通して外を眺めるとさっきまで射していた光が翳り、薄暗くなって来た。
<今日は夜から雨になるって、天気予報で言っていたな。そうだ、ビゼーは、歌劇「真珠採り」も作曲していた。このオペラのアリア、「耳に残るは君の歌声」はいろんな人が編曲していて、よく耳にする。ポール・モーリアの涙のトッカータのシングル盤のB面もこの曲だった。さっきの「カルメン」の話に戻ると、ヒーローやヒロインの清廉潔白、正義なんかを考えてみたくなった。僕はそんなにたくさんの文学を読んだわけではないけれど、主人公が悪なのかどうかはだいたいわかる。ディケンズの小説で言うと、『ドンビー父子』の主人公ポール・ドンビーは最初酷い悪人だけれど、後に改心している。主人公ではないが、『ピクウィック・クラブ』の最初のところで登場するジングルは物語の最後のところで、改心する。『大いなる遺産』のピップは悪人ではないが、思いつめたら周りのことを気にしない質で、放蕩の耽ったり、自分を育ててくれた人たちを等閑(なおざり)にする。最後はそれまでしてきたことを反省し改心するが、一時悪人になっていたとも考えられる。ディケンズの小説には改心する人がたくさんいるが、それ以上に反省しない登場人物が目を引く。『ピクウィック・クラブ』の悪徳弁護士ドットソンとフォッグ、『オリヴァー・ツイスト』のバンブル、サイクス、モンクス、『ニコラス・ニクルビー』のスクィアズ、ラルフ・ニクルビー、『骨董屋』のネルの祖父、クウィルプ、『バーナビー・ラッジ』のヒュー、『マーティン・チャズルウィット』のセス・ペックスニフ、『デイヴィッド・コパフィールド』のマードストン姉弟、ユライヤ・ヒープ、『リトル・ドリット』のクレナム夫人、『二都物語』のテレーズ・デファルジなどは悪役となって、主人公の大きな障害となる。意識的な場合もあるが、ネルの祖父のように自分の享楽、賭博が娘の人生に大きな悪影響を与えるという場合もある。犯罪小説なら、犯罪を犯した人が悪人と言うことになるが、小説の登場人物の大部分は主人公も含めて、普通の社会生活を送っている。主人公は正義の人、あるいは人間的に成長して偉大な人物になるというのが理解しやすく、また読者の願望でもあるので、主人公はいい人というのが定番になっている理由なのかもしれない。だからそれと真逆の「カルメン」のヒロインに多くの人が嫌悪感を示すのかもしれない>


(続く)