プチ小説「帰途、新京阪橋を挟んでの熱きたたかい」
福居は、昨年、再雇用となった初老の男性だった。彼は、昭和60年に吹田市内にある医療機関に就職して以来、30年余り、阪急相川駅前にある新京阪橋を渡って、出勤、帰宅していた。彼はおっとりした普通の人で、スポーツマンではなかった。常に考え事をして歩くので、職場に着くまでに何人もの人が彼の横を追い抜いて行った。そんな平凡そうな男だったが、あることが生じると抑制が効かなくなるのだった。それは狭い道で彼のすぐ際を追い抜かれると、彼は自分の歩く速さに異常なまでの劣等感を感じて、仕返しをしたくなるのだった。
50代までは彼を追い抜く人物に抜かれないようにその人の前を歩き続けることは可能だったが、還暦を過ぎると脚力が衰え、追い抜かれるのも仕方がないかと思うようになった。それで彼はつまらない闘争心に火が点くことを避けるために、帰る時間を午後5時30分、午後5時45分、午後6時と3つにした。またJRを利用して帰宅することも可能だったので、少し遠回りになったが、2週間に一度はJR吹田駅から普通電車に乗った。
ある日、福居が帰途、新京阪橋に差し掛かると後ろで地面を、ザクッ、ザクッと蹴る音がして、すぐに一人の男性が福居の横を通り過ぎた。その男性は通り過ぎて1メートルのところで、横を向いてニタッと笑った。福居はそれをいつもの悪い癖で自分を挑発しているものと受け取り、彼の脳内にある深層に「こいつには二度と抜かれないでおこう。それが無理でも、1回は気持ちよく彼の前でゴールしよう」というメモ書きを残した。
しかしこの男性は福井にとって強敵だった。年齢は福居より10才くらい若かった。小柄なスポーツ選手の体形でいつもTシャツと脱色したブルージーンズを穿いていた。丸刈りでヴィッセル神戸のイニエスタ選手にどことなく似ていた。福居は、この人のことを勝手に、イニエスタ赤坂と呼んでいた。ザクッ、ザクッと音がしたと思ったら、5メートル前を歩いているので、抜きつ抜かれつゴールである阪急相川駅の改札口までデッドヒートを繰り広げるというのは不可能だった。
それで福居は体力を向上させ、戦術を練ることで、イニエスタ赤坂と福居が勝手に呼んでいる人物に対抗しようと考えた。まず彼は50代前半までは槍・穂高登山をするくらいの体力があったので、その頃と同じくらいの筋トレを再開することにした。福居は40代の頃、ほとんど毎日、毎朝40分の腹筋と背筋、毎晩2時間の腿上げ、週末の土日の朝は5000回の背筋をこなしていたので、毎晩70分の腿上げ、毎朝20分の背筋だけはやろうと心に誓った。
またイニエスタ似の人物が福居を興奮させる音を立てながらすぐ横を通り過ぎていくのを黙って待っているのは癪だったので、自分の側から仕掛けることにした。イニエスタ似の人物が新京阪橋に差し掛かるのが、だいたい午後5時33分くらいだったので、福居は堤防沿いの道に出るまでにほぼ堤防沿いの道と並行してある遊歩道(ペーブメント)を歩き、午後5時32分頃にペーブメントから飛び出して、堤防沿いを50メートルほど走り、新京阪橋を走って渡り、ゴールである阪急相川駅の改札口に駆け込むのだった。こうすれば一度としてイニエスタ似の人物に追い抜かれることはない。
筋トレを2週間続けても不安が残ったので、決行の日の前の1週間は毎日近くの公園で1時間ほどジョギングで汗を流した。そうして福居はハロウィンの日の前日に、自分が勝手に思い込んでいる熱きたたかいを決行した。わき目も降らずに相川駅のゴールを目指したので、その時にイニエスタ似の人物がそこを歩いていたのか、よしんば歩いていたとしてもいつも追い抜いていた人物が驚天動地の計画を立てて、自分のはるか前で相川駅に着いたのを悔しがったのかはわからなかった。ただ自分がフサイン・ボルトのように断トツ1位でゴールのテープを切ったような快感を持って、相川駅の改札口をくぐったことは間違いないと思った。
月が替わって11月となり、相変わらずイニエスタ似の人物が、ザクッ、ザクッという音を立てて福居を追い抜いて行ったが、福居はまた気が向いたら、同じことをして快感に浸ろうと思った。だって、10回に1回だとしてもそれは勝ちなんだから。リーグ戦をたたかっているのではなく、大相撲やオリンピックでたたかっていると考えればそれでよいわけだから。
※ 新京阪橋は現在大改修工事中で、あと2年後くらいには大きく姿を変えていると思われます。(2020.11.1)