プチ小説「座談会「情けは人の為ならず」について考える」
「こんにちは、「青春の光」で橋本さんの相方をしている、田中です。最近、「青春の光」で橋本さんと私の出番がなく、今日、ご出席いただいている、鼻田さんやいちびりさんもそれぞれ「たこちゃんの○○」や「いちびりのおっさんのぷち話 ○○編」での出番がなくなりました。それでも船場さんはわれわれのことを思って、いろいろ考えて下さっている。まさに、「情けは(他)人のためではなくて自分のため」と考えられて、不言実行されていると言う感じですね。ちゃんちゃん」
「田中君、それでは私やいちびりさんや鼻田さんの出番がないじゃないか」
「わしも、「情けは人の為にならないから」、社会鍋や共同募金でお金を投じたことがないとぼけを入れようとしてたんが、でけんかった」
「まあ、船場君はさておき、いちびりさんは巡り巡って、自分のところに帰ってくるように何かを善意でやっているんですか」
「家族のないわしはさておき一般の家庭では、今はコロナがあるので、自分の家族や職場に迷惑がかからんようにすることで精一杯やのんとちゃう」
「それでも少額でもいいから寄付したり、健康な人は献血をしたりして社会に貢献できると思うが...昔、フランスにヴィクトル・ユーゴーという作家がおったん知っとる」
「ええ、『レ・ミゼラブル』の作者ですね」
「そう。その小説の主人公ジャン・ヴァルジャンは、パンを盗んだだけで長い間監獄生活をすることになる。出所後、行き場がなく困っていたところ、(詳しい経緯は省くが)司教に助けられ、やがて偽名マドレーヌで市長になる。この頃から、警官ジャヴェールが怪しんでジャン・ヴァルジャンを追っかけるようになる。そういう追手がおるというのに、市長になった頃から、ジャン・ヴァルジャンはしばしば街頭で貧しい人に施しをしている。ユーゴーはどちらかというと吝嗇家で寄付などはあまりしなかったとどこかに書かれていたが、この小説の中で、しばしばジャン・ヴァルジャンが貧しい人を助けたこと、慈善の精神は、『レ・ミゼラブル』を読んだ人の心に残ったんじゃないかと思う」
「へー、ええ話やないか。船場も見習ったら、もっと目の前が開けるんとちゃうんかな」
「そら、世間的に知られるようになったらそれも可能になるのでしょうが、船場さんはライターではなくしがないサラリーマンに過ぎません」
「ちょっと、わしにもしゃべらせてーな」
「鼻田さんはどうお考えですか」
「船場はんが寄付をするかどうかは彼の善意に任せるとして、わしはマスメディアでもう少し善意の寄付というものを取り上げてはどうかと思うんや。さっき話が出た社会鍋や共同募金もそうやし、「愛は地球を救う」という番組も善意の素晴らしさを気付かせるちゅー意味では、貴重やと思うでぇぇえ」
「コロナ禍で公的機関からの援助もままならない今、人に情けを掛けることができる人たちの自発的な援助というのが大切なんですね」
「田中君が言うことはよく分かるが、本来慈善活動というのは街頭に出て求めなければならないと思う。われわれがこのような場で世間話のようにして話すだけでは力がない」
「そうやなー、クラウドファンディングなんかで呼びかけて、募金を募るのも多くの人に呼び掛けるので、有効やなぁ」
「でもそれはいろんな条件をクリアできないと無理だと思います。多くの人は地道な活動に頼るしかありません。それでは、最後にお三方それぞれのご意見をいただきたいと思います」
「今は大変な状況やが、持っている人が持っていない人を助ける気持ちが大事なんとちゃう」
「今持っている人ももしかしたら将来、自分や家族に助けが必要になるかもしれないから、寄付して上げられたら寄付してあげて」
「情けはいつか自分の為になるのだから、思い立ったら情けを掛けてみよう」
「ありがとうございました」