プチ小説「こんにちは、N先生20」
私は、コロナ禍でウィルスがそこら中に蔓延していることを恐れて、毎年恒例の大晦日から元旦に掛けての深夜の五社(北野天満宮、上賀茂神社、下鴨神社、平安神宮、八坂神社)巡りにに出掛けることを諦めました。12月30日と31日の午前中で年末の掃除をやり終えた私は、午後から、半年前に購入して、ほったらかしになっていた、ブラッド・ピット主演の映画「トロイ」と2週間前に購入した、1963年の映画「アルゴ探検隊の大冒険」の2本を続けて見ることにしました。というのは前者は大規模スペクタクルに圧倒されたかったから、後者は初期の特撮映画で主人公が大活躍するのを見たかったからです。この古代ギリシアを描いた映画のどちらも期待に応えてくれてうれしかったのですが、掃除で体力を使った割には充分に睡眠できてなくて、温かい部屋で暗くして映画を見たので、私はいつしか夢の世界へと誘われて行きました。
最近、枚方大橋近くで遭遇した深い霧のようなガスがあたりに立ち込めてしばらくは何も見えませんでしたが、拙著『こんにちは、ディケンズ先生』のチャプター1のようだなと思っていると、霧が晴れてきました。あたりをよく見ると今年の11月に私が訪れた津和野城跡のようでした。千鳥格子のジャケットを着た中肉中背の紳士がこちらを向くと、それはN先生でした。
「N先生、ま、まさか、先生が私の夢の中にまで現れるとは思いませんでした」
「そりゃー、なかなか君に会えないからこういう方法を取ったんだが、こんなことは朝飯前のお茶の子さいさいだよ」
「そうですか。私も先生が専攻されたギリシャの歴史、文学なんかに最近興味を持つようになったので、先生からコメントをいただけると思っていました」
「呉茂一先生の『ギリシア神話』だね。面白かったろう」
「あまりにもたくさんの固有名詞があって、戸惑いました。読み方もギリシャ語読みと英語読みがありますし。呉先生は音を延ばすのがお好きなようで、ヘラクレスのところをヘーラクレースと表記されたりするので、文字数を稼ぐためなのかなと思いました」
「まさか。それは君の思い過ごしだと思うな。とにかく呉先生がおられたからこそ、われわれは、『イーリアス』『オデュッセイア』を読めるだけでなく、ギリシアのいろんな書物に触れることが出来るんだよ」
「私もそう思って、『ギリシア悲劇』という本も購入しました。呉氏はギリシアの悲劇や喜劇を翻訳されて(出版されて)いて、いくつかの本が岩波文庫から出ています。『女だけの祭』『鳥』(アリストパーネス)、『タウリケのイピゲネイア』(エウリピデス)、『アンティゴネー』(ソポクレース)、『アガメムノン』(アイスキュロス)が古書で購入できるので、『アガメムノン』と『アナバシス』は是非読んでみたいと思います」
「それはなぜだね」
「アガメムノンはトロイ戦争の勝者と言われますが、映画「トロイ」では最後のところで悲劇が待っています。インターネットで調べてもアガメムノンの最期のことがよくわからないので、定説に従っているのではないかもしれませんが、アガメムノンについて書かれた文学を読んでみたいのです」
「じゃあ、『アナバシス』は」
「この本の著者クセノポンはギリシアの著述家で、劇作だけでなくいろんな著作を残しています。それに先生もこの人に関しての本を2冊書かれています。京都大学学術出版会から『クセノポンⅡギリシア史1』と『クセノポンⅡギリシア史2』を出されていますが、先生自身のご著書はこのふたつですよね」
「そうさ、共著はあと3冊あるが...約20年前のことさ」
「私は、『ソクラテスの弁明』(『ソークラテースの思い出』(岩波文庫))当たりの方がわかりやすいかなと思うので、そちらも読んでみたいと思います。でも先生...」
「でも、何だね」
「例えば、『イーリアス』や『オデュッセイア』に書かれていることは今から3200年前のことなので、本当にあったことなのかと。それからギリシア神話の神々が人間の営みの中によく登場されます。生死の世界を自由に行き来され、それが出来ない人間の営みに自由に出入りされます。それにちょっと抵抗がある場面にしばしば出くわします。アキレウスは不死身ですが、アキレス腱だけは保護されて?なくて、そこを突かれて死んだというのはあまりにあっけなくてすんなり受け入れられないのです」
「確かに資料が散逸して学説も多数説はあるが定説には至らないというのは多い、でもわれわれ学者はギリシア語だけでなく、ラテン語、英語なんかで記述されたギリシアについての書物を読み解き、当時の歴史がどうだったかを解明していかなければならない。例えば、トロイの木馬について言えば、『オデュッセイア』の中に少し触れられているが(というのもトロイの木馬作戦を考案したのがオデュッセウスなのだから。)、この物語の主な内容は島流しに遭ったオデュッセウスが苦労して故郷に帰るまでを描いている。むしろトロイの木馬について詳しく書いているのは、ローマ時代のラテン語詩人ウェルギリウスなのさ。彼の著作『アエネーイス』の中でトロイが陥落した様子が詳しく書かれている」
「それでラテン語が必要になるわけですね」
「そう、そんな感じでギリシア語、ラテン語は一昔前までは西欧の学生の教養を高めるための大切な学問だったわけだが、今、日本で第二外国語が重視されなくなったように西欧でも古代の言葉というのが...」
「今の時代は本を読まなくなったというのが、いろんなところで弊害を起こしているのですね。それに語学で何をするかということですが、本を読むことよりコミュニケーション・ツールとしての役割だけという感じになっている気がします」
「重い本は捨てて、軽い携帯端末や翻訳機が重宝されている。昔のように何冊も原語の本を持ち歩く学生が果たしているのだろうか」
「第二外国語はさておき、先生が教えて下さった『ウェルギリウスの死』(ヘルマン・ブロッホ著)は楽しく読ませていただきました。出版されてから何年もたった古書がいつか誰かの推薦で蘇り、脚光を浴びる可能性がないわけではないのですから、われわれは諦めずに待ちましょう」
「そうだね、君の『こんにちは、ディケンズ先生』1~4も、私のクセノポンの2冊の本もいつか光が当たるかもしれないね。ぴかっとね」
「そうです、ぴかっと突然にです」