プチ小説「近所の物知りさん2」

たろうがはじめて正直人(まさなおと)の家を訪問してから3か月経過した土曜日の午後、昼食を食べて外に出ると正直人が納屋から自転車を出して出掛けようとしていた。たろうは少し躊躇していたが、正直人に近寄り思い切って声を掛けてみた。
「この前は、ありがとうございました。お話は参考にさせていただきます」
「ははは、参考にしていただけるのはありがたいけど、それよりもっと何か訊きたいことがあるから、今こうして声を掛けたんだろ」
「えーっ、どうしてわかるんですか」
「それはぼくが君の立場だったら、そうだろうなと思ったから。だって一度話をしただけの人に声を掛けるのは、何か目的がないとしないと思うよ。いいように考えるとぼくに興味を持ってくれているということも言えるかな」
たろうが黙って頷いているのを見て、正直人は2本の上前歯を少し見せてにっこり笑った。
「で、君はどんなことを知りたいのかな」
「ぼく、もう少ししたら、中学生になるんですけど、日本人として日本語を習い、日本語であらゆることが表現できるし、友達づきあいでも外国語の必要は感じません。なのに英語を習わないといけないのかと思います」
たろうが真面目な顔で尋ねるので、正直人はそれに合わせた。
「たろう君の訴えはとても深刻なようなので、じっくり説明してあげよう。ちょっと出掛けようかと思ったが...さあさ、家に入って、お茶でも飲みながら話そう」

前に訪問した時と同じ椅子にたろうが腰かけていると、正直人がお茶を持ってきた。
「まあゆっくりしていくといい。というのも、たろう君が問いかけた問題があまりに大きいので、どこから説明しようかとぼくは迷っているんだ。たろう君は、外国に行ってみたいとか、町で見掛ける外国人に声を掛けたいとかの願望はないのかな」
「ないです」
「そうなのか。今はそうなのかもしれない。でも中学生になると大阪、京都、神戸なんかに出掛けたりして外国人に会うことも多くなるだろう。道を尋ねられるかもしれないよ」
「声を掛けられたら、急いで逃げます」
「ははは、中学生くらいなら、それも許されるかもしれないけど、大人になるとそうはいかない」
「......」
「それにいろんな外国の情報が入ってくるとその国を訪れてみたくなる。外国語が話せると直接話を聞くこともできるから、情報量が増えてその国に対しての理解が深まるのさ。それからもっと重要なのは...」
「もっと大事なことがあるの」
「そう、外国語を使えるということでその国の文化を掘り下げて理解できるのさ。文学、音楽、絵画などをより深く理解するための道具を手に入れたということになる」
「でも翻訳書というものがあるのではないですか」
「もちろんそれを利用するという手もあるけど、翻訳家の個性もあるし、取捨選択するから、100パーセント必要な情報を与えてくれるとは限らない。偉人の残したものを知りたかったら、やはり原文を読まないと...それに好きな小説家の本が一部しか翻訳されていないとなるとやはり原文を読むことになる」
「でも、ぼくは文学の研究をするわけではないんです」
「そうだね、じゃあ、たとえば趣味...そう音楽なんかはどうかな。今、サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」という曲が流行っているけれど聴いたことがあるかな」
「ぼくはラジオを聴くので、何度か聴いたことがあります」
「たろう君は、その歌詞の内容を知りたいと思わない?」
「そんなことを考えたことはありません」
「そうだね。ちょっと小学生にはきつかったかな。ぼくも外国語で歌われる曲に興味を持ったのは中学生なってから友だちから持ち掛けられてだった。たろう君もきっと中学生になったら、友人から、「昨日の晩、深夜放送でカーペンターズの「青春の影」聴いた」なんて言われるだろう」
「そうなんですか」
「ぼくの中学、高校の頃はそうしてラジオで自分の好きな曲を見つけていった」
「そうした曲を理解するためにも外国語が必要なんですね」
「そうさ、その曲も英語圏の曲ばかりとは限らない。ジリオラ・チンクエッティの「雨」という曲を知っているかな」
「それもラジオで聴いたことがあります。カンツォーネとか...」
「そう、じゃあ、シルヴィ・バルタンの「アイドルを探せ」はどうかな」
「ええ、フランス語の曲ですね。でもシャンソンなら、フランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」の方が好きかな。じゃあ、今度はぼくから質問です。ドイツ映画「白銀は招くよ」の主題歌は誰が歌っているでしょう」
「トニー・ザイラーだね。よく知ってるね。でもそれだけ外国の歌に興味があるなら...」
「たまたま、日曜日のお昼過ぎに京都の放送局にラジオのダイアルを合わせたら、これらの曲が流れていたんです。別に外国語を習うことに興味があるわけではないんです」
「そうか...ああ、残念だな。これから出掛けないといけない。続きは次の土曜日でどうかな」
「わーっ、来週も面白いお話を話してくださるんですか。ここに来ればいいんですか。よろしくおねがいします。お茶、ごちそうさまでした」
「ははは、ぼくも君と話すのを楽しみにしているよ」