プチ小説「軟弱なジャズ・ファンのひとりごと」
福居にとっては、久しぶりの京都だった。2ヶ月間京都に行けなかった憂さを晴らすように、ふたばで3個和菓子を購入し、名曲喫茶柳月堂でモーツァルトのピアノ協奏曲第21番をリクエストしてから、京阪電車で四条まで下り、円山公園の枝垂れ桜の前まで来たところだった。福居は辺りを気にしないで独り言をつぶやく悪い癖があった。
「久しぶりに京都に来て、ふたばの豆餅を買い、柳月堂でいい音でモーツァルトを聴かせてもらった。これから「いもぼう」で海老芋と棒鱈を砂糖醤油で煮たものに舌鼓を打って帰るのだが、今から20年前はもっと選択肢があったな」
福居は、以前はもっと四方八方に枝垂れた枝を伸ばしていた枝垂れ桜を見た。
「この枝垂れ桜も10年くらい前に虫食いで大ナタが振るわれて、一時は丸坊主に近かった。今でも、往時の華やかさはない。おそらく20年くらいしないと昔のような妖艶な姿を見られないだろう。今日は「いもぼう」で月見定食を食べて満足して帰るのだが、本当のところは、「日本一ラーメン」で巨大な餃子を食べたかった...。しかしあの餃子はキョーレツだった。恐らく刻んだニンニクが2、3個は入っていただろう。ある時、日本一ラーメンで餃子を食べた後、四条通のブルーノートに行ったら、店員の人に話掛ける度に苦悶の表情を浮かべて、終には入り口の扉を開放したのだった。優しい人だったから怒られはしなかったけど、きっと迷惑だっただろう。ブルーノートはリクエストができたからよく行ったなあ。今も聖護院とかにジャズ喫茶はあるみたいだけど、ブルーノートのような気軽さはない。40代は血の気が多かったから、大餃子とジャズ喫茶で京都を満喫していたけど、還暦を過ぎると和食、和菓子、名曲喫茶がお似合いなのかもしれない...」
枝垂れ桜の前の道を少し登ると池があった。桜の頃になると外国人がギターを弾いて聞かせていた。
「その人の手作りCDを購入したり、写真を撮らせてもらったりしたけど、最近どうしているのだろう。もう20年近く経っているから、その人70才に近いんじゃないのかな...カントリーが得意だったから、グリーン・リーブス・オブ・サマーなんかその紳士にリクエストしたかったな。そう言えば、ハンプトン・ホースのグリーン・リーブス・オブ・サマーは一聴の価値がある。思うに、今から30年程前にジャズにのめり込んだのは、いくつか理由があったなぁ」
福居は鞄の中からiポッドを取り出すとアルバムを開いて、ざっと見てみた。
「ここに入れているものの半分くらいは、ジャズを聴き始めた頃に興味を持ったものだ。聴き始めの頃は、日本たばこが出版したジャズのガイドブック3冊、寺島靖国氏の『辛口JAZZノート』と『JAZZリクエストノート』を頼りに大阪(当時は、なんば駅前やアメリカ村の中にタワーレコードがあった)、京都(当時は河原町VIVREの中にタワーレコードがあった)の中古レコード店などを徘徊したものだった。特にワクワクさせたのが、OJCから出ていたいにしえの名盤の復刻版で、廉価であったし包装が派手なこともあって、購買意欲を誘ったものだった」
福居の前を大きなヘッドフォンでiポッドを聴いている人が通り過ぎて行った。
「ぼくも外で聴くけど、基本はスピーカーの前に座って寛いで聴くのがいいなぁ。最近は通販で大概のCDが手に入るから、巣籠というのも手伝って、以前から買いたかったCDを大量に購入した。最近はSACDなんかがあるから、アナログレコードよりいい音で聴けることがある。それから名盤の吟味に寺島氏の推薦盤がためになったが、今回そうして購入した「オン・ステージ」「ジャスト・フレンズ」(以上、ビル・パーキンス)、「ザ・ジェントル・アート・オブ・ラブ」(マット・マシューズ)、「バード・ブロウ・ザ・ビーコン・ヒル」(ドナルド・バード)、「スパニッシュ・ステップス」(ハンプトン・ホース)、「チェルシー・ブリッジ」(アル・ヘイグ)、「コペンハーゲンの印象」(ジョー・ボナー)、「ザ・ネイチュア・オブ・シングス」(レニー・ハンブロ)、「ワン・フォア・ファン」(ビリー・テイラー)、「ジャズ・アット・アン・アーバー」(チェット・ベイカー)なんかは一度聴いただけで、味わい深いことがわかった」
福居は、「いもぼう」の前で立ち止まって呟いた。
「それにしても、こうしているうちに時は過ぎていく。出版した本さえ売れてくれれば、いろんな道が広がるんだけど、コロナ禍ではどうしようもないよな」