プチ小説「枝垂れ桜の前で」
今年の桜の開花は早かった。実際、今年の場合、京都の桜の開花は3月中旬だった。いつもなら、4月の忙しい時期は花見どころではないが、今年は3月で時間があったので、福居は円山公園に花見に行くことにした。お昼過ぎに円山公園に着くと、すぐに公園内にある枝垂れ桜のあるところへ向かった。彼はそこである人物に会えるのではないかと期待していた。
<もう、あれから25年くらい経過したかしら。桜のシーズンになると立派な体格をしたオーストラリア人(福居はこの人物と少しだけ話したことがある)がやってきて、枝垂れ桜の向かい(池の手前)に陣取り、アメリカのフォークソング、カントリーを歌っていた。ジーンズ、カントリー歌手が着るようなシャツ、カウボーイハットという出立ちだった。彼はハンサムでいつもにこやかに笑顔を振りまいていたので、彼が歌を歌い出すと多くの人が彼を囲んで耳を傾けた。テネシーワルツやフォスターの歌曲を歌っていたのは覚えているが、他の曲はギターの弾き語りのカントリーっぽい曲ということしかわからなかった。僕が好きなクラシックやジャズのスタンダードなら、曲目がわかっただろうけれど...>
福居が以前オーストラリア人が座っていたところの近くのベンチに腰掛け、時計を見ると午後1時前だった。
<確か、彼の演奏を聴いたのは午後からだったと記憶している。もう少ししたら、ケースに入ったギターとアンプを持ってやって来るんじゃないかしら。それまでここに腰掛けてうとうとしていよう。ああー、なんて日差しが柔らかくて心地よいんだろう>
福居は、鞄を抱えて居眠りを始めたが、彼の特技というか専売特許があって、眠る直前に思った人物が夢に登場するということがよくあった。そのオーストラリア人も夢に現れた。
「やあ、アナタよくキテクレマシタ。ヒサシブリデスネ」
「最後にお会いしてから大分経ったので、まさかお会いできるとは思いませんでした。確か最後にお会いしたのが、今から25年くらい前なので、あなたも70才くらいにおなりになったのではありませんか」
「オオ、アナタ、年齢(とし)の話をするのはヤメマショウ。音楽の話とか、楽しい話をしましょう」
「そうですか。私はあなたからお分けいただいたCDをたまに聴かせていただいているのですが、知らない曲ばかりなので、なぜなのか不思議に思っています」
「ハハハ、そうなんですね。ジツハ、CDに入っているのはすべてオーストラリアではよく知られているけれど、日本ではほとんで知られていない曲ばかりなのです」
「そうか、それでなのか。でも、テネシーワルツだけでなく、あなたが歌う、アメリカやイギリスやフランスのポップスが聴きたかった気がします。確かあなたは500円でリクエストに答えておられたから、ダニー・ボーイなんかリクエストしたかったなぁ」
「ダニー・ボーイデスカ...」
「それが無理なら、オールド・ケンタッキー・ホームとかどうですか」
「ファスターは、おおスザンナ、草競馬、スワニー河、夢見る人、金髪のジェニークライデスカ...」
「オールド・ブラック・ジョーはどうですか」
「チョットクライですね」
「そうだ、枯葉やパリの空の下なんかはどうですか」
「キホンテキニシャンソンはやりません。ワタシは自分の国のことを少し知ってもらおうと思って、あのCDを作ったのですよ。ああ、そろそろ時間です。アナタにも私が生まれ育ったオーストラリアに少しでも興味を持ってもらえたら...よかったら、物置きで眠っているCDをもう一度聴きなおしていただけるとウレシイデス」
「わかりました。そうします」
福居は目を覚まして立ち上がると、あれはあの段ボールに入れてあるはずだと呟きながら、阪急京都河原町駅へと向かった。
※ 2003年に Christpher Worth さんから分けていただいたCDRは今も残っており、10曲中2曲だけが曲名がわからない曲で、「テネシーワルツ」の他、「聖者が街にやって来る」「上を向いて歩こう」「500マイル」「ラブ・ミー・テンダー」「カントリー・ロード」「ローハイド」「コットン・フィールズ」が収録されている。