プチ小説「青春の光94」
「は、橋本さん、どうかされたのですか」
「誰でも感じていることだと思うが、あまりに状況がひどくてどうしたものかと思っている。何か救いはないのか」
「そうですよね。われわれの生みの親である船場さんも、週末は自宅で巣籠りすることがほとんどで、クラリネットのレッスンも受けられない。遠方への旅行も行けない。大学図書館もコロナ対応で忙しく寄贈図書の受け入れが出来ず、『こんにちは、ディケンズ先生』第3巻、第4巻も評価がわからないといった状況ですよね」
「でもすぐにコロナがなくなるということは決してないだろう。何とか持ちこたえてほしいな」
「ほんとにそうですね。話は変わりますが、船場さん、最近、ギリシア神話とかギリシア悲劇をネタにされることが多いですね」
「そう、それには理由があるんだ。「こんにちは、N先生」のN先生は船場君が大学時代にお世話になったドイツ語の先生のことなんだが...
もちろん船場君と一緒に安威川の土手を歩いたり、名古屋の蕎麦屋で一緒に蕎麦を食べたことはない。これらは船場君の創作だが、N先生から教えてもらったことをたくさんこのプチ小説に盛り込んでいる。この先生は東京の有名私大を卒業され、京都大学でギリシア文学、『イーリアス』『オデュッセイア』それからギリシア悲劇などを研究される一方船場君の出身大学でドイツ語のクラスを担当していた。船場君は1回生の時にドイツ語のリーダーを竹治進先生(この方は検索すると後に本を出版されている)、文法をN先生に習うという幸運に恵まれた。2回生の時はリーダーをN先生に習った」
「そうして2回生のある日帰りの市バスでN先生と親しくなられたのですね」
「N先生は、ドイツに留学をされたことがあり、その話をよく授業の中でされた。お金の節約をしようと紙袋一杯のチェリーを食べた話や下宿の近くの歌劇場では安くでオペラが鑑賞出来て楽しかったが、ジュリエット役の人がぽっちゃりタイプの大きな人だったので違和感があったという話をされたが、船場君にはギリシア文学の面白さをしばしば語られていた」
「それからN先生は、意識の流れの手法の作家、ロレンス・スターン(『トリストラム・シャンディ』が代表作)の面白さを船場さんに話された後、ヘルマン・ブロッホの『ウェルギリウスの死』を一度読んでみるといいと言われました。船場さんはその本を一度は手に取られましたが、ほとんど段落がなく活字でページが埋め尽くされているのを見て、その時は読まれなかった。45才を過ぎて喫茶店で毎日1時間近く読書をするようになって、ようやくその本を読み終えられました。これは数年前まで神田で営業していた風光書房の店主重田氏がヘルマン・ブロッホのファンだったというのも関係があります。風光書房で『ウェルギリウスの死』を購入してから半年ほどで読み終えたのですから。ああ、N先生の話から逸れてしまいました」
「ギリシア文学に話を戻すとN先生はギリシアの英雄叙事詩の面白さを船場君に語られたようだが、当時の船場君はギリシア文学について何の知識もなく、クセノポン、アイスキュロス、ソポクレス、エウリピデスって興味をそそる名前だな、時間があったら、読んでみたいと思ったようだ。N先生は1999年(市バスで船場君と話をしてから17年ほど経過している)に京都大学学術出版会からクセノポンの本を出版された」
「船場さんがギリシア文学に興味を持たれた切っ掛けがあったのでしょうか」
「前から挑戦してみたいという気はあったようだが...いきなり筑摩書房の世界古典文学全集で『イーリアス』と『オデュッセイア』を読むというのは無理だ。それでまず呉茂一氏の『ギリシア神話』『ギリシア悲劇』を読んだ。ミュケーナイ王アガメムノーンが興味深い人物で弟(メラネオス)、妻(クリュタイメストラ)、ふたりの娘(イピゲネイア、エレクトラ)、息子(オレステース)もギリシア悲劇の重要な登場人物になっているので、プロメテウスまで遡らなくても王アガメムノーンの周辺を描いた戯曲をいくつか読めば少しはギリシア文学を理解できるのではと考えたようだ」
「それで、船場さんは今、人文書院のギリシア悲劇全集(全4巻)の第3巻エウリピデスを読まれているのですね」
「さあ、読んでいると言えるかどうか。船場君は、15年ほど前に、波多野精一『時と永遠』に挑戦して、まったく歯が立たなかった(何が書いてあるのかわからなかった)という経験がある。読解力はあまりないと言える。槍・穂高に数回登った人が世界最高峰に挑戦するようなものなのかもしれない」
「そうかもしれませんが、コロナで何もできない今は、アマゾンでショッピングばかりでなく、船場さんには果敢にいろんな本を読むことに挑戦してほしいですね」
「そうだ、ギリシャ文学を一通り読んだら、もう一度、『時と永遠』を読んでほしいな」