プチ小説「ドヴォルザーク好きの方に(仮題)完結編」

松川はコロナ禍で遠出が出来ないでいたが、マスク手洗いを徹底することを肝に銘じて、福岡天神の中古レコード店を訪れることにした。松山店長の開放的で明るい性格が、松川が巣籠で暗くなっている心に明るい兆しを差し入れてくれる気がしたからだ。
新幹線で博多駅に着くとすぐにタクシーに乗り、松山の中古レコード店で止めてもらった。店長は、店の前で日向ぼっこをしていた。松川に気付くと、松山は両腕をゆっくりと右に動かして店の中に入るように促した。
「やあ、久しぶりですね。元気で頑張っているのかな」
「いや、昨今は気が滅入ることばかりが多くて...それで何か気が晴れるものがないかと考えていたら、店長さんの顔が浮かんだんです」
「そら、光栄ですが、気の利いたことが言えるわけじゃあないし、親身に相談に乗るってえのでもないから、どうなのかなあ」
「そんなー、せっかく遠路はるばるやって来たのですから、例えば、話だけならきいてあげるよー、とか言ってもらえれば、ぼくとしては、心が和むんです」
「そうなんだね、やっぱり巣籠しているとよくないガスが溜まるから、一発ブウーッと...」
「ははは、ブウーッとはリアルですから、ドヴァっととか、バーンとかのほうがいいですよ」
「じゃあ、バーンとガスを出して行ってくれ。ところで最近アナログレコードを聴いているのかな」
「いいえ、あまり聴いていませんね。というのは、ぼくは今から20年ほど前に、アンプはラックスL570、カートリッジはオルトフォンSPUクラシックG、プレーヤーはヤマハGT-2000、スピーカーはオンキョーのモニター2001という布陣でアナログレコードを長年楽しんできたのですが、半年から1年に1回10万円のカートリッジの針先交換の費用が捻出できなくなり、2~3万円のMMカートリッジに変えたのですが、音が劣化するだけでなく、針の取り付け方が悪いのかトレースも怪しくなっています」
「音が悪くて針飛びだらけで、あまり聴いていないということか」
「そうですね。そうする意欲がなくなってしまって、最近はいろいろなジャンルのCDを購入して聴いていますね。今使っているマランツのCD6004というCDプレーヤーが針飛びもなくそこそこよい音を出してくれるから、SACDばかりを購入して楽しんでいるという感じです。でもそれは本来の...」
「君が楽しんで来た音楽と別物なんだ」
「そうです。クラシックをアナログレコードで聴くこと、これはぼくの生活に潤いを与えてきました。今は生息地の水も枯れて、頭の天辺のお皿の水も枯れて、頭の中の脳みそが粉末のあさげになったような状況です」
「そうかそれほど深刻なら、いい方法がひとつあるんだが...ひとつ条件がある」
「教えてもらえるのなら、なんでもします」
「そうそんなら、店を終えたら一所に長浜ラーメンを元祖長浜屋で食べよう」
「いいですよ」

元祖長浜屋に行く道で、松川は最近購入したCDの話をしたが、松山は最近録音されたCDには興味がないようだった。
「最近出たCDで、シューベルトの即興曲をハープで演奏するというのがあって、これを取り寄せたのですが、長年聴いてきたステレオで聴くと音がボロボロだったんです」
「ボロボロ?」
「高音だったらポロンポロン、低音だったらボロンボロンと心地よくハープが鳴るところが、籠ったボロボロと濁った音になり分離も悪いんです。これだけに限らず、今のオーディオテクニカのMMカートリッジではいろんな支障が生じています。今年の正月に半日かけてトレースがきちんとできるようにしたのですがまだまだ前の音にはほど遠い...」
「なるほど、それでは音楽が生活に潤いを与えるというわけにはいかないなぁ」
「何かいい方法がありますか。ただし先に言っておきますが、オルトフォンの高級MCカートリッジに戻すというのは今の状況では無理です。またタンノイなど高級スピーカーの購入なども考えましたが、大阪駅前のヨドバシカメラの店員さんから、1本40万円のタンノイスターリングを購入しても、モニター2001と大して変わらない、今のスピーカーの重さがスターリングの2倍あるのだから、モニター2001を大切に使った方が良いと言われたのです」
「そうか、わかった。ところで君はコロムビアの音聴箱(おとぎばこ)を知っているかな」
「ええ、もちろん。ラジオ、カセットテープ、レコード、CD何でも聴けて、外部出力も可能、さらに78回転でSPレコードも聴けるという、小型ながら夢のような機能のステレオのことですね」
「そう、その音聴箱を長年使っていたのだが、CDプレーヤー、アナログプレーヤーがいけなくなった。それで店員の勧めで外付けでアナログプレーヤー、テクニクスSL-1200MK5を購入したんだが、これを購入した時に、各段に音が良くなるということでフォノイコライザー、オーディオテクニカAT-PEQ3を購入したんだ。もちろん外付けのアナログプレーヤーの性能もあるだろうけど、フォノイコライザーのお陰で、音が数段良くなって、レコードを聴くのがより楽しくなったというわけさ。そのイコライザーは数千円で音聴箱のような小型ステレオ用だけど、最近、ケンブリッジオーディオというイギリスのオーディオメーカーから発売された”DUO”(税込み約3万5千円)というフォノイコライザーは性能が良くてわしの知っている電気店の店員さんも愛用しているとのことだった(彼は、MMだけ対応の”SOLO”の方を使っているようだが)。一度試してみるといい。さあ、元祖長浜屋に着いたぞ」

その次の週末に松川は梅田のヨドバシカメラを訪れ、”DUO”を購入したが、それは期待していた何倍もの威力を発揮して、松川に再びアナログレコードへの興味を持たせ、生活に潤いを取り戻させたのだった。