プチ小説「希望のささやき5」

二郎は、絶望感に打ち拉がれていた。関西の4私大のいくつかの学部を受験し、国立大学も受けたがいずれも
不合格だったからだ。仮に浪人生活に入るとしても、高校生の時に学費の負担をしてもらっていた
両親にこれ以上心配を掛けるわけには行かなかった。それに二郎には、弟と妹がいた。
<今まで、余りにのんきに考えていたんだ。意欲さえあれば大学は入れるものと思い込んでいて、まったく
 努力らしいことはしなかった。振り返ってみれば、合格する可能性はゼロだったと言える。それでも
 ぼくの言うことを信じて、骨身を削って教育費を捻出してくれた両親にどう説明すればよいのか...>
二郎は合格発表の日、朝早く家を出て昼には自宅に帰るつもりだったが、今後のことが混沌としてきた
今となっては、両親の前で何と言えばよいのかわからず家に帰ろうという気が起らなかった。
二郎は変に生真面目なところがあり喫茶店は不良の行くところだと思い込んでいて、一度も喫茶店に
入ったことはなかったが、今日はそう言った思い込みを否定したい気持ちになって来て、京都の繁華街の
名曲喫茶へと足を向けた。それに二郎は以前近所のおじさんにベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲の
レコードをおじさんの自宅で聴かせてもらい、クラシック音楽や名曲喫茶に関心があったからだ。
<リクエストはできるみたいだけれど、今日は他のお客さんのリクエストに耳を傾けることにしよう。
 今、かかっている曲は、運命のようだな。第1楽章が終わってしまった。でも、最後まで聴いた
 ことがないので、いい機会だからゆっくり聴くことにしよう>
二郎がくつろいだ格好で曲を聴いていると疲労感も手伝って、やがて睡魔に襲われ眠りに落ちて行った。
「二郎君、起きなさい。こんなところでうたたねをしていると風邪を引くよ」
二郎は話をするその人物をよく見ようとしたが、うっすらと霧がかかったようでただ赤い頬っぺただけしか
わからなかった。
「いくらつらいからといって現実から逃げてはいけない。まずは両親に謝って、自分が今後どうしたいか
 はっきり言うんだ。その上で、日々どうするかを考えて行けばよろしい。予備校が駄目なら、宅浪でいいじゃ
 ないか。1年で無理なら2年位までなら浪人もいいじゃないか。苦しい時は誰でもあるはず、それを弾み
 にしてその後生きて行けるのなら決して無駄とは思わない。誰しも、輝く時と暗い時はある...」
二郎はようやく話している人が先日亡くなった、赤い頬っぺたのおじさんであることに気付いた。おじさんは
最後に言った。
「名曲は心を癒してくれる。ラジオならお金もかからないから、クラシックの番組を聴いてみたらいい。
 お金が出来たら、レコードを買ってみたらいい。長い間多くの人に聴かれて来た名曲は二郎君もきっと
 気に入るだろう。それに何より二郎君が得意なながら勉強には一番いいと思うから」
二郎は目を覚ますとしばらく馬蹄形を両手で作りその上に頭を乗せて考えごとをしていたが、先行きに明かりが
見えて来たのか、力強く立ち上がると出口へと向かった。