プチ小説「どこか遠くへ行きたいなぁ」

会社の帰りに平林は、ふと空を見上げて呟いた。本当なら、季節もいい頃だし、今のこの時期、どこかに出掛けていたろうにと。

平林は50代後半の独身のサラリーマンだったが、仕事に明け暮れ、気が付いたらもう若くないどころか、初老の時期に入っていたのだった。彼の唯一の趣味が旅行で、北は北海道利尻島あるいは根室、南は沖縄まで隈なくと行きたいところだったが、安月給の彼は、北海道の札幌くらいまでと南は奄美・沖縄までには至らず、鹿児島市内くらいまでだった。
それでも旅行好きな彼は資金を何とか捻出して、夏と秋に一度ずつ遠出をしていた。

今まで旅したところは、北から順番に言うと、札幌市内では、もいわ山に昇って札幌市内を見渡してから、テレビ塔、大通公園、円山動物園に行ったし、夜にはススキノでジンギスカン鍋も食べたし、札幌ラーメン共和国では味噌ラーメンも食べた。函館では、最初に函館山にのぼってから函館朝市、ここでイクラ、カニ、ウニの三食丼を食した、五稜郭に行った。青森では、奥入瀬渓流を散策した後、市内に入り、新鮮市場でマグロをお腹いっぱい食べた。仙台では、青葉山公園で伊達政宗の像を見た後、青葉通りを行ったり来たりした。牛タンも食べた。山形では、夜行バスで大阪から日帰り往復するという強行軍だったが、日本一のいも煮会に参加した後、市内のそば屋で板そばを食べた、いやちがうぞ、確かどこかのホテルで一泊して、その前の通りを花笠踊りの行列が進行していったんだ。だから一泊して強行軍はしなかった。新潟では、滞在時間が短かったので、水族館と有名ラーメン店にだけ行ったのだった。当時はコンビニがなくてトイレで困ったことが記憶に残っている。なんとか新潟駅にたどりついて事なきを得たのだが、新潟駅で食べたそばは美味しかったな。富山では、革靴で立山の山頂まで登った後に、富山市内をぶらぶら歩いたが、印象に残っているのは立山の雄姿と富山城のたたずまいだろうか。高岡駅構内の切手専門店にはいろんな切手が置いてある店があって、月に雁なんかがランク付けされて売られているのを見たんだ。手頃な値段の月に雁があったから購入したけど、そんな店に偶然出会えるのも、旅行の楽しみじゃないかな。金沢は親戚があるから通り過ぎてしまう感じだな。福井は永平寺や東尋坊で有名だけど、海産物の市場があって、特になまこが有名なんで、腸を塩づけしたこのわたが買いたくて市中をうろうろしたことがあった。小さな容器に入ったものが、目を剥くほど高かったのを覚えている。もちろん話のタネに購入したが。

平林が堤防を歩いていると、突然、ドボンという音がした。安威川の水面には、波紋が残っていた。中国の魚で飛ぶ魚というのがいて、誰かが安威川に放流したらしい。平林は呟いた。確か、ハクレンと言ったっけ。これがしばしば静寂を破るんだ。しずかな堤防の遊歩道で近くを走る阪急電車が走る音くらいしかしないから、音が際立ってはっとするんだ。でも大概はハクレンが水面下に落ちてから見るから、相当ラッキーじゃないと飛び上がっているところは見られない。2、3度見たことがあるけれど、鯉のような魚だった。

そうそう福井まで行ったから、地元近畿は飛ばして、今日は日本海側を行くとしよう。ここはまだ兵庫県なんだけど、余部鉄橋に行った時のことはよく覚えている。山陰線で浜坂まで行った時に通っただけで、一旦下りて見ることは出来なかったけど、日本一高いところを通る鉄橋というアナウンスが流れていたことを思い出す。車内のアナウンスと言えば、長野県植松町の寝覚ノ床のそばを通った時や青函トンネルに入る時のアナウンスが印象に残っているけど、こういったささいな音響効果が旅情を掻き立てるんだよなぁ。交通のアクセスが(自家用車があれば問題ないのだが)難しくて二度といけないところが、佐治天文台だ。当時はバスを乗り継いで行くことが出来たが、今は目的地の遠くからタクシーに乗るしかない。鳥取県はどこでも空が暗いと言われているから、新月の頃にとりあえず鳥取県まで観光で行って、天候が良ければ佐治天文台まで足を延ばすとするかな、いつかはまた行ってみたいな。日本の城で何度か天守閣まで登ったことがあるのが、松本城、姫路城そして松江城なんだ。そう言えば、心残りの城が一つあった。犬山城で、他のところの観光をして着いたのが午後4時で、天守閣に登れなかった、その後木曽川を挟んで犬山城を見て、天守閣に登っておけばよかったと悔やんだ。今度行くときには、朝一番に行きたいな。国宝の城は他に彦根城があって、ここは一昨年の秋に天守閣に登ったけど犬山城はまだだから、リトルワールドや明治村と一緒に一泊して回ってみたいな。昨年はコロナ禍で大変だったけど、エアポケットみたいな時期があって、その頃に日帰りで津和野に行ったのだった。天気も良く、堀庭園の紅葉が素晴らしかったので、一年の厄が払われた気がした。そんな旅行が今年はできるのかしら。

そう言いながら、平林は阪急相川駅の改札口をくぐった