プチ小説「青春の光95」

「は、橋本さん、どうかされたのですか」
「どうもこうも、今の状態では何とも仕様がないだろう」
「でも、船場さんは、最近は初心に戻って、ディケンズの『リトル・ドリット』を読んでいるようですよ」
「そうなのか、『リトル・ドリット』は船場君にとって思い出深い小説だろ」
「そうですよ、船場さんが、今から13年ほど前に、大学時代に生協で購入してそのまま読まずにいた『リトル・ドリット』を読まなかったら、『荒涼館』『骨董屋』『我らが共通の友』を読むことはなかったでしょうし、小説を書いてみようなんて気も起らなかったでしょう」
「船場君は「『リトル・ドリット』を翻訳された小池滋先生から年賀状をもらったり、励ましの手紙をもらったりしたんだろ」
「そう、『こんにちは、ディケンズ先生』を出版してから、小池先生は船場さんをたくさん励ましてくださったんです。小池先生と船場君の出会いは、船場君が浪人時代に読んだ、『オリヴァー・トゥイスト』ですけども、『リトル・ドリット』を読んで、船場君は小池先生の翻訳に興味を持ったと言えます」
「未完の『エドウィン・ドルードの謎』他も小池先生が翻訳されたんだったね」
「ええ、『バーナビー・ラッジ』、共訳で『荒涼館』それから日高八郎訳の『大いなる遺産』の第2部は小池先生が訳されたと言われています」
「他にも、ディケンズ・フェロウシップの理事や会員の英文学の先生や翻訳家の方から励ましていただいて、船場君は文豪ディケンズをより多くの人に知ってもらおうと、『こんにちは、ディケンズ先生』を4巻出版しただけでなく、いろいろ頑張ったんだったね」
「ディケンズ・フェロウシップのホームページに、ディケンズの小説の新訳について感想文を書いたり、プチ朗読用台本を作成したりした。プチ朗読用台本はいくつかの訳を参考にしながら、小説の面白い部分を切り取って、船場君が台本にしたものだが、故荒井良雄先生が名曲喫茶ヴィオロンでその2つを読んでくださったように、他の台本も日の目を見てくれたらなぁと思うのだが」
「一時は、我々も船場さんを助けたいとこの小説の中で応援団としていろいろ頑張ってみたのですが、成果はまったく上がっていないですね」
「田中君がいう通りだが、大学図書館が機能せず、50の大学図書館に『こんにちは、ディケンズ先生』に受け入れを依頼したのに(いずれも第1巻と第2巻を受け入れされた大学なのだが)今のところ、京都大学だけが受け入れされているという状況だ。これでは船場君も偉そうなことは言えないし、今そんなことをしてもいいのだろうかと悩んでしまう」
「でも船場さんも62才だし、いつまでもチャンスを待っているわけにはいかないですし。何か行動を起こさないといけません」
「そうなんだ、船場君は年齢的にもあと10年くらいが限界だろう。それまでに何か切っ掛けが掴めるといいのだが。コロナが終息するのを待っている余裕はない」
「僕たちがへこたれたら、船場さんもがっかりされるでしょう」
「そう、だからわれわれはこれから先いつまでも希望を失ってはいけない。空元気でもいいんだ」
「そうですね、13年前のわれわれのことを考えるといろんな面でゆたかになったんですから、『リトル・ドリット』に出会えたことに感謝して、これからも地道に頑張って行くだけですね」
「その通りだ」