プチ小説「遠い昔の話3」

福居が高校生活を送っていた時は、朝方まで民放の深夜放送を聴くのが当たり前だった。魅力あるDJの興味深い話や様々なジャンルの音楽を誰にも邪魔されないで心行くまで聴いて、青春を謳歌している気になっていた。しかし何も苦労しないで生きていて浪人生となってしまい心細く思い、新しい生活を始めるにあたって何か助けになるものが見つけられないかと思った。朝早く起きてFM放送を聴くことは今までなかったが、今日、福居は午前6時過ぎに起きて、顔を洗ってからラジオの前に正座して耳を傾けた。小さい頃からずっと彼に楽しみを与え続けてくれたのは音楽だったので、きっと救済もしてくれるだろうと彼は思ったのだった。
<高校時代の失敗は、楽しく音楽を聴きながら勉強しようとしたことで、フォークソングやニューミュージックの歌詞ばかり覚えて、英単語や数式が頭に入らなかったことなんだ。あくまでもBGMはBGMで、主たる作業の邪魔をするようなものであってはならない。そう思って、浪人生活をするにあたって、ジャズかクラシックのどちらかをBGMにしようと考えた。国立二期校に落ち浪人生活が決定してから昨日までの1週間はFM放送でジャズの番組をいくつか聴いたけど、長さがあまり歌謡曲なんかとかわらないし、情熱的な曲が多いから、フォークソングなんかと同様に教科書に集中できない気がする。それで今日から、クラシックを聴いてみることにしたんだが、朝の7時から、FM大阪でクラシック音楽の番組があるようだ。ちょっと聴いてみるかな>
新聞を見ると、ブラームス交響曲第1番ミュンシュと書かれていた。
<でもクラシック音楽は未開の領域と言える。知っている曲と言えば、ベートーヴェンの「田園」、これって交響曲第何番だったっけ。それから小学校の時の下校音楽のドヴォルザーク交響曲第9番「新世界から」くらいかな。番組が始まったから、聴いてみよう、「長大な曲なので解説の時間は省略する」と言っている。じゃあ、僕も覚悟してじっくり聴かせてもらうかな。
おお、いきなり重厚なオーケストラの響き、太鼓の響きはティンパニーの音だろうか、一息ついたところで可憐な管楽器のメロディ、オーボエという楽器かな。一旦止まって今度は弦楽器がきれいなメロディー。うーん、次は管楽器が対話している。オーボエ、フルート、クラリネット、ホルンが。そしてまた弦楽合奏の美しいメロディ。ここのところはだんだん力がみなぎって行くような感じだな。まるで人間には内なる力が秘められていて、何かの切っ掛けでその力が精一杯出せる。君も頑張れよと励ましてくれているようだ。そうして落ち着いた感じで第1楽章が終わる。第2楽章は、最初から美しいメロディだな。しばらくして始まるオーボエの独奏も心に沁みる、それからこの美しい弦楽合奏、なんて素晴らしいんだ。そうしてまた愛らしいオーボエの旋律、クラリネットと対話を始めたぞ。第1楽章と違って優しいメロディが一貫して流れている。こういったメロディにずっと身を任せていたい気がする。最後はヴァイオリンの独奏が聴かせる。ホルンが絡んで妙なる調べだな。最後はヴァイオリンの独奏で美しく終わっている。第3楽章は、何か懐かしい感じがするメロディだな。少しテンポが速いんで、活発な感じがする。仲間が集って何かをしようと盛り上がっている感じだな。そして終楽章、最初のところは混とんとしていてまとまらない感じだけど、やがて牧歌的なフルートの調べが奏でられ、金管楽器の演奏で盛り上がっていく、弦楽器が美しいメロディを奏でると曲はまとまりができてフィナーレに向けて徐々に盛り上がっていく。
僕はイージーリスニングが好きで、それはポップスやフォークソングにないような最後の盛り上がりがあるからなんだけど、ポール・モーリアの「エーゲ海の真珠」「涙のトッカータ」、フランク・プールセルの「アドロ」、パーシー・フェイスの「ムーラン・ルージュの歌」のような盛り上がりは、オーケストラでないとできない気がする。オーケストラの各楽器の特徴を生かして盛り上げて行くという音楽を今までほとんど聴かなかった。これは本当にもったいないことだな。
人の声が奏でる音楽である歌(唄)も魅力的でずっと聴いていたいけど、歌は目的を達成できるまで、つまりはどこかの大学に合格出来て無事に卒業するまでは、我慢することも今の僕には必要じゃないのかな。終盤盛り上がる、励ましてくれたりするクラシック音楽が浪人生となった今、僕が求めているBGMじゃないのかな。
エアチェックしてテープに上手く録音できたみたいだから、しばらくはテープで楽しもうとしよう。家にステレオがあるから、小遣いを貯めてこの演奏のレコードがいつか買えるといいな。ぬばたまの漆黒の浪人生活に一条の光が差してきた感じだ>
勉強机の横にあるラジカセで再生するとうまく再生できた。福居は、このFM放送を再生することが、しばらくは楽しみになると思った。