プチ小説「遠い昔の話8」

福居が阪堺電車の姫松駅近くのライカショップを訪れたのは、これが3度目だった。最初は、ライカM6の本体と35ミリのズミクロン・レンズ(F2)を購入し、その次は、50ミリのズミクロン・レンズと90ミリ沈胴式のエルマー・レンズ(F4)を購入した。何度か京都の街を撮影して、ライカレンズの解像度の良さと色の美しさに魅せられた福居は所有欲を掻き立てられていくのを感じた。最初に購入した35ミリのズミクロンと90ミリのエルマーはカメラバックに入れて撮影で使用するために必ず持ち歩いたが、50ミリのズミクロンは持ち出すことがまったくなかった。沈胴式のレンズに興味があり、50ミリのズミクロンレンズを持て余していた福居は、赤エルマー50ミリという沈胴式のレンズがあることを知り、購入できないかとそのライカショップを訪れたのだった。
「どうも、今日はレンズを購入したいと思って来たのですが」
「どんなレンズですか」
「実は、ここで購入した、ライカM6本体、ズミクロン35ミリ、90ミリ沈胴式エルマーは画像がきれいでしかも使い勝手がいいので気に入って使っているのですが、ズミクロン50ミリを使うことがほとんどなくて...」
「確かに、ズミクロン35ミリは万能でポートレイトで威力を発揮しますし、手頃なレンズと言えますね。それに比べると50ミリは少し中途半端かな」
「僕もそう思いますが、もし違うメリットがあれば50ミリもよく使うようになるのではと思うんです」
「赤エルマーのことかな。ここにもあるけど」
「おお、取り扱っておられるんですね。エルマー90ミリだと、沈胴式のレンズを本体の中に押し込むと(沈胴させると)丁度35ミリズミクロンを取り付けたような感じになって、普通のソフトケースにも収納できます。赤エルマーだとどうなりますか」
「取り付けてみましょうか」
店主は、M6本体と赤エルマーをショウケースから取り出し、福居の前で繋げて見せた。
「それからこうやってねじるとカメラ本体の中に収納されます」
「うーん、まっ平になるんですね。これは凄い。これだとカメラ本体の厚さだけだから、小さなバッグにも入りますね」
「そうです。それに明るさがF4ですから、屋外での撮影は何ら問題は起こりません」
「ところでこれを交換というわけには行かないでしょうね」
「そうですね、一旦買い取って...。どうされたんですか」
「今、ショウケースを見ていたんですが、ここにエルマリート21ミリというレンズがあります。どんなレンズですか」
「まあ、慌てないで、店はあと1時間は営業していますから。赤エルマーはどうされます」
「あんまりお金持ちでないので、一度に2本は無理です。でも1本なら、少々高くても購入しようかと思います」
「ということは、エルマーリートを購入するかもしれないんですね。よろしい、ところであなたは21ミリという画角、超広角レンズと言われますが、使われたことがありますか」
「僕は、高校に入学して写真部に入ってから、40才を過ぎてライカを購入するまで、オリンパスOM1以外の35ミリ銀板カメラを使ったことはありません。レンズはズイコー24ミリ、35ミリ、50ミリ、200ミリを使ってきました。ずっと使って来たので、愛着はあります。特に24ミリや200ミリはよく使っていました。超広角レンズは歪みがあると言われますが、特に気にならなかったです」
「エルマリート21はさらに画角が広いのですが、補正されていて歪みがまったく気にならないと言われています。エルマリートと同じ21ミリのレンズにスーパーアンギュロン21がありますが...」
「コンパクトで使いやすそうだから、これがほしいなー。おいくらですか」
「M6のファインダーでは21ミリの画角はみられません。ですから外付けのファインダーが必要になります。それからかぶりやけられ防止のため、フードは付けた方が良いです。レンズとフードが一緒に収まるレンズケースがありますから、それをおまけして、30万円ですね」
「ちなみに赤エルマーはいくらですか」
「こちらは、9万5千円です」
「どちらもすぐ使ってみたいので、ローンで購入したいのですが」
「もちろん、可能です」
「ああ、また欲しいものを見つけてしまった」
「ノクチルックス50ミリ F1.0ですね。これも20万円とお得な価格になっています。ローンで購入されますか」
「いいえ、ぼくはこの他にも天体望遠鏡とクラリネットのローンがあるんです。ちょっと無理かと思います」
「そうか、でも、こんなに安くで買えることはないんだけどなあ」
「ううっ、でも手も足も出ないんだからしょうがないじゃあないですか」
「あなた、何も泣かなくてもいいじゃないですか」
「愛するライカはきっと僕に使われるのを待っているのに...。本当に残念だな。でもF1.0のレンズってどんな時に使うんでしょうね」
「きっと、室内でポートレイトを写す時に威力を発揮すると思います、それに開放値が1.0だと被写界深度が極端に狭くなるから、絶妙のボケ具合になるんじゃないかな。まあ、使ってみないと何とも言えませんが」
「僕が購入できるようになる頃には、ノクチルックス50ミリF1.0は100万円以上になっている気がします」
「現在も、なかなか入手しにくいレンズですから、将来あなたが手にすることもないんじゃないかな」
「うーっ、でも、ポートレイトを撮るより、広い画角のレンズで京都のお寺を撮りたいんです。ノクチルックスの場合、被写体を探すのが大変です。おいそれとポートレイトは撮ることは出来ません。京都のお寺は、あんた嫌いよと言いませんから」
「そうですよね。被写体がなければ宝の持ち腐れですよね。じゃあ、赤エルマーとエルマリート21とその付属品でローンを組みましょう」
「よろしくお願いします」

※ この小説は特に登場人物のデフォルメ、大雑把な時の流れ、実際と異なるところが多々があることをお断りしておきます。