プチ小説「ベルリオーズ好きの方に(仮題)完結編」
本山は紆余曲折があったが、3年間浪人して希望の大学に入ることが出来た。もちろん野放図な大学生活を送ることは出来ないので、相変わらず、「FMfanコレクション オーケストラの本」「FMfanコレクション ピアノの本」を頻繁に取り出してページをめくり、クラシック音楽をBGMにしてデスクワークをしていた。
「現役、一浪だったら、いろんな職種の大手企業を狙えるけど、三浪もしてしまったから、僕の場合、中堅企業の一部か、国家公務員、地方公務員ということになるが、国家公務員はちょっと無理だろう。中堅企業は中南米をターゲットにして海外派遣なんかをしているから、3回生からはスペイン語を履修しようかな。スペイン語は中南米の公用語で、ラテン語系の原語の中で一番やさしいと聞くから、習っておいて損はしないだろう。フランス語、イタリア語とブラジル語もラテン語系の原語なんだ。フランス語を本格的に勉強することはないだろう。けど、スペイン語を履修しておくと就職活動でアピールできるかもしれないし、オペラの台本を理解したくてイタリア語を勉強する時に役立つかもしれない。第二外国語をドイツ語にしたのもオペラのためなんだ」
本山はカセットテープの片側が終わったので、B面を掛けた。
「それにしても、このクレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団のチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」はいいな。何回再生したことだろう。浪人時代は長くて辛かったけれど、こうしてお昼のクラシック番組でかかった名盤のエアチェックが数多く残っている。そのレコードを購入するのは社会人になってからだけれど、今のところはこれをBGMにして勉強を捗らせることができる。もちろん音には不満があるけれど、音楽自体は充分に楽しめる。クラシック音楽は昔のもので古臭いものと高校生まで思っていたが、浪人生になって、長年の淘汰を凌いで生き残った音楽、感動させる音楽、ながら勉強ができる音楽と発想を転換して、だらしない生活を送っていたのを少しはまともな方へと修正できた」
本山は、机の上のドイツ語の文法のテキストをめくりながら呟いた。
「ぼくが高校生の頃だったら、このテキストを見て音を上げただろう。だって男性名詞、女性名詞、中性名詞があってさらに複数も冠詞の扱いが違う。しかもデアデスデムデンと言うように1格から4格まである。不定冠詞ではアインアイネスアイネムアイネンというふうに文章の中で格変化する。形容詞も格変化するし、動詞は英語以上に変化する。第二外国語で基礎的なことだけとは言え、未知の原語の習得は相当な語学好きか知的好奇心がなければ長時間の予習は無理だろう。僕の場合、ドイツオペラ、イタリアオペラを理解したいという目標があって、その時間退屈しないですむクラシック音楽のBGMがあるから続けられるのだろうけれど」
そのあと本山は、カセットテープでミュンシュ指揮パリ管弦楽団のブラームス交響曲第1番、イタリア四重奏団のシューベルト弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」、セル指揮クリーヴランド管弦楽団のシューマン交響曲第3番「ライン」、ストコフスキー指揮ロンドン交響楽団のリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」、ミュンシュ指揮パリ管弦楽団のベルリオーズ幻想交響曲などを聴いたが、ふと窓から外を見ると陽が傾いていた。
「まあ、ぼくはこういう生活を一生続けるんだろうな。でもいつかこういうことが続かなくなることが起きるような気がする。本来ぼくは自由に生きたい質なんだから。地道に頑張っても手が届かないことだってあるし」
本山はしばらく周りを見てごそごそしていた。
「昔から山登りはしたかった。外国文学を読むことはこれからも続けるだろうけれど、自分で小説を出版してみたい。それから不特定多数の人を前にして何か楽しいことをやってみたい。ぼくの場合はレコード・コンサートということになるかな。出世したらそんなことをしている時間はないから、これらは見送られ、夢で終わるだろうな」
玄関のチャイムが鳴った。母親が買い物から帰って来たので、本山は玄関を開けに行った。