プチ小説「笑福亭仁鶴さんを偲んで」
福居が所用で中学生の頃に過ごした町の役所に行き、手続きを済ませて役所の建物から出ようとすると後ろから声が掛った。
「もしかして、福居さんじゃないですか」
その男性がマスクを半分外して微笑んで見せたので、福居は50年近く前のことがよみがえった。
「もしかして、木下くんかな。そうか、久しぶりだね。元気そうだね」
「ぼくは現役時代によく働いたから、今は田圃のめんどうを見ている。自給自足の生活をしているけど、福居さんはどうしているの」
「もう少し頑張ろうかと思っている。体力と精神が元気であればだけれどね」
「そうか...で、君は中学の頃のようにマンガと深夜放送を活力源にして頑張って来たのかな」
「うーん、そうか君のぼくの印象は中学で止まったままなんだね」
「そう、別の高校に行ってそれっきりだから。でも安心して、君の悪い印象は残っていないから」
「ぼくはその後いろいろあって、浪人生活に入ってからは、たまにしか深夜放送は聴かなくなったなぁ。マンガはやめて活字を読むようになったね。でもたまにはマンガの単行本を読んだりするかな。深夜放送と言えば、木下さんはどんなのを聴いていたの」
「ABCヤングリクエストとOBCのヒットでヒットバチョンといこうかな」
「そうか思い出した。木下さんはポール・モーリアのファンだったね」
「そうそう、ポール・モーリアの「涙のトッカータ」が掛るのを楽しみにしていた。でも本当のところは別の楽しみがあったんだ」
「......」
「ヤンリクの中に「仁鶴頭のマッサージ」というコーナーがあったのを覚えてる?」
「もちろんだよ。夜の静寂の中で聴いていたから、面白いことを言われると笑いを我慢するのが...」
「ぼくもそうだよ。涙を流して、枕に口をうずめて堪えていた。それが病みつきになってしまった」
「ははは、ぼくもそうだった。仁鶴さんはバチョンの水曜日もやっていたね」
「そう、ぼくがファンだった板垣晶子さんと一緒だったから、水曜日の深夜が楽しみでいつも午前0時過ぎまで起きていたよ」
「でも、バチョンは残念なことにぼくたちが高校受験の頃に終わってしまったね。知らない間に終わってしまったという感じだよ」
「そうか、福居さんは受験勉強の時はきっぱりとバチョンなどの深夜放送を断ったわけだ」
「木下さんはその後もずっと聴き続けていたの」
「やっぱり仁鶴さんの放送を断つのは難しかったね。これは今しか聞けないと思ったから。板垣さんのファンでもあったし」
「今から考えると仁鶴さんはいろいろなことをぼくに授けてくれた」
「そう授けて下さったと思うよ。それに深夜に大声で笑うのを堪えたのも仁鶴さん以外にはいない」
「そう、仁鶴さんの話し方にはそうさせずにおかない何か特別なものがあったね」
「落ち着いた、優しい声で話していたと思ったら、突然はしゃいだ口調になったり、幼児が話すような口調になったりする。まるで百面相のように声色が変わる」
「木下さんはずっと仁鶴さんの深夜放送を聴いていたと思うけど、バチョンは高校に入る前に終わったし、仁鶴頭のマッサージも多分それからしばらくしてなくなったのだと思う。そのあとはKBS京都(近畿放送)の「仁鶴日曜思い出メロディ」などの懐メロ番組を担当するなど落ち着いた内容になり、本業の落語に戻って行かれた」
「もちろん深夜放送で輝いていた頃にも落語の舞台に出られていて、ぼくが落語に興味を持ったのも仁鶴さんのお陰と言える」
「そんな仁鶴さんの声が聞けないなんて、さみしいと思わないかい」
「そうだね、50年くらい前に関西に在住していて、今60代くらいの人で深夜放送のファンだった人は仁鶴さんのファンだったと思う。あの声がもう聞けなくなって寂しいというのではなくて、これを機会に当時の音源を販売してはどうかと思う。当時のファンは懐かしいと思うだろうし、今の若者にだって何か新しいことにチャレンジする切っ掛けとなるような気がするから。ぼくたちがそうだったように」
「そうだね、当時の若者は仁鶴さんのギャグに乗せられて、みんな面白いことを企画していたとも言えるかもしれないね。ぼくはここで失礼するけど、木下さん、元気で頑張って」
「元気でこれからも頑張るために、朝日放送やラジオ大阪から仁鶴さんの特集の雑誌が出たらいいのにと思うけど」
「特に1970年代の深夜放送にスポットを当てたものをね」
「期待して待つことにするよ」
「ぼくもそうだよ」