プチ小説「東京名曲喫茶めぐり ライオン編 3」
たろうは毛利に尋ねられて、山手線の電車の中で近況報告をしていた。
「名曲喫茶ライオンに入ったら、おしゃべりはできないから、今、少し訊いておきたいんだけれど、
将来は決まったの」
「ぼくたちの大学は新しい校舎、といってもぼくが行っている法学部だけだけれど、になってみんな
張り切っているけれど、やはり司法試験や国家公務員は難しい。民間企業に就職したり地方公務員
になる人がほとんどだけれど、大企業や政令指定都市はやはり難関なんだ。ぼくは地元の政令指定
都市に就職したいけれど...」
ふたりはたろうの就職の話を続けながら、名曲喫茶ライオンの店内へと入って来た。
すぐに奥さんが注文取りににやって来た。
「おふたりともアイスミルクコーヒーね。今日は、毛利さん、どんなレコード?そう、ウィーン・コン
ツェルトハウス四重奏団のハイドン「皇帝」「日の出」なの。ハイドンってやさしい響きがあるから
好きだわ」
奥さんが話している時にたろうは思わず、言葉をもらした。
「とりあえず、就職することが第一だから、無理はしないよ。毎日の生活を楽しむためにはバイトも
しないといけないし...」
たろうの話を聞いて、突然奥さんの顔から笑顔が消えた。
「あなたと同じようなことを言っていた子、といっても20年程前に某音楽大学の学生で指揮を勉強
していた男性、がいたの。こういうところにいると音楽好きにとっては楽しくて仕方がなくて時が
経つのも忘れるみたいで、大学を卒業する頃になってもこの店で引き続き働きたいって言うから、
私は言ったの、若い頃に広い世界を見て来ない。内に閉じこもってばかりでは駄目よと。そうしたら
とにかく彼が尊敬していたカラヤンのところへ行ってみようと決めて荷造りを始めたんだけれど、
そうしているうちにカラヤンが亡くなって結局行かないことになったの。でもずっとここで
働こうという考えはやめたようでその後一所懸命勉強して、大学の先生になったみたい」
「......」
「たろうくんにとって有意義な話だったろう。奥さんはこれからの人生を豊かにするためには若い頃に
苦労をしておかないとと言っているんだ、わかったね」
「うん、わかったよ」
毛利は話を終えて奥さんの顔を見たが、奥さんは、
「毛利さん、それはあなたに対するメッセージでもあるのよ」
と言った。