プチ小説「ホルスト好きの方に(仮題)完結編」
福沢は自分がホルストの「惑星』好き、天体観測好き、冨田勲のシンセサイザー音楽好きということを熟考したところ、それぞれに深い繋がりがあり、お互いもたれ合い、助け合っていることに気付いた。図にすると次のような感じだった。
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そんな感じて、3つのことがある時はひとつずつクローズアップされて、例えばホルストの「惑星」のレコードが無性に欲しくなって知らないうちに中古レコード店の店内をさまよっていたり、今日は新月で夜空が暗いから天体観測にぴったりだと思うと奈良の山奥に何とか行けないかと思案したり、冨田勲の「ドーン・コーラス」のCDを聴いているといつもこっちもいいけど、やっぱり「惑星」がサイコーだから、後で「木星」のところだけでも聴こうと思うのだった。
そんな穏やかな毎日を福沢は送っていたが、ある時、こういうホルストの「惑星」中心の毎日を送っていると支障が出ることに気付いた。
<だって、ホルストははっきり言って、「惑星」しか有名な曲がない。吹奏楽ですばらしい曲をたくさん書いていると言うけれど、ぼくにはわからない。もっと他の曲を聴きたいんだが、ホルストの「惑星」、天体観測、冨田さんのシンセサイザーのレコードというサイクルから抜け出せないでいる。このままだとモーツァルトやベートーヴェンの曲を聴けないまま、幾星霜も流れていく気がする>
そんなことを考えるとホルスト大好きの福沢は偉大な作曲家に自分が不遜な態度を取っていると思い、心が傷んだ。
<でも、こ、これでは忘年会の演芸で、ジュピターを歌うことしかできない。そうだ、こう考えれば問題は起こらない>
<昔、こういう感じのコマーシャルがあったが、そうだ、こう思い込めばこのホルスト→天体観測→冨田さんの音楽という無限循環から脱出できるだろう...でも、ホントだろうか>
数ヶ月して、福沢は「ホルスト循環」から脱出できたが、今度はヘンデル→王宮の花火の音楽→ストコフスキーの打ち上げ花火の音入りレコードの循環から抜け出せなくなってしまったのだった。