プチ小説「シェーンベルク好きの方に(仮題)完結編」

清田が黒い髪の少女と夢の中で話した翌日の夜、早く家に帰ることが出来たので、清田は夕食後すぐにストコフスキー指揮の「浄められた夜」のレコードを聴いて、ベッドに横になった。やがて霧が晴れると、黒い髪の少女が現れた。少女は夏物のワンピースを来ていた。
「なかなか似合っているよ。シェーンベルク先生もいいお弟子さんをお持ちだね」
「ありがとう。ところでこの前に言っていた、無調音楽や十二音技法がどうすれば脚光を浴びられるかだけれど」
「一般的な話しかできないことを許してもらうとして、君は...」
「私、名前があるの。エリザベートと呼んで」
「じゃあ、エリザベート、おじさんの言うことをしばらく聞いてくれ」
「いいわよ」
「まず時代を340年ほど遡ろう。イタリアのヴェネツィアに大作曲家が生まれたんだけれど、知ってる?」
「1678年生まれのヴィヴァルディでしょ」
「そう、そのヴィヴァルディはヴァイオリンで演奏する楽曲をたくさん作曲しただけでなく、ヴァイオリンの技法についても開発して多くのお弟子さんに享受している。それから7年してドイツのアイゼナハにもう一人のバロック音楽の大作曲家が生まれているけど...」
「ヘンデルと同じ年に生まれたJ.S.バッハさんでしょ」
「そう彼は、ヴァイオリンの音楽だけでなく、オルガン、チェロそれからオーボエやフルートなどの管楽器、管弦楽曲、カンタータや受難曲などの宗教曲などなど幅広い分野の名曲を残している。ヴィヴァルディとJ.S.バッハこそクラシック音楽の礎を築いたと言える」
「確かにそうだわ」
「それから古典派の時代になり、ハイドンが交響曲と弦楽四重奏曲をそれぞれ基本4楽章の音楽として確立した。これに倣ってモーツァルトやベートーヴェンがたくさんの交響曲、弦楽四重奏曲を残している」
「ハイドンは、交響曲を104曲(106曲?)、弦楽四重奏曲は68曲(83曲?)も作曲しているから、おふたりのよいお手本になったでしょう」
「そう、そうしてそのよいお手本を発展させて、モーツァルトやベートーヴェンは素晴らしい音楽世界を築いていった。でも彼らに少し希薄なものがあった」
「わかるわ。愛ね」
「うーん、確かにそうとも言えるけれど、モーツァルトは美しいメロディーを作ることには天才的だったがよく感情が籠っていないと言われる。またベートーヴェンの音楽は感情が籠っていると言えるが少し荒っぽいところがある。そんな彼らの音楽の少し足りないところを愛、つまり人間の優しさや悲しみや憤りを音楽に反映させてよりドラマティックで人の心を感動させる音楽を試行錯誤して作っていった。これはロマン派の作曲家のスタンスだったとぼくは思っているんだけれど、ウィーン学派以降現代音楽の作曲家の多くがそういった感情を音楽に盛り込むのをやめて、楽曲の完成度だけを考えるようになった。生命線であるメロディの美しさはほとんど考えずにどれだけ技巧や構成美があるかに集中した。でもね、メロディがほとんどないのは音楽とは言えないかもしれない。というのも音を楽しむのが音楽だから」
「きびしいわね」
「話は変わるけど、エリザベートがこの前言ったようにジャズだって1950年頃まではスタンダードジャズをバンドやコンボで演奏するというだけだったのが、モダンジャズ、モードジャズ、フリージャズという具合に形を変えていった。ここでよく言われる。この流れを作った人は?」
「マイルス・デイヴィスね」
「そう、コルトレーン、エヴァンス、ロリンズ、ゲッツ、パーカーなどなど偉大なジャズ・ジャイアンツはいるけど、マイルスの言動、演奏に引きずられるようにジャズの演奏形態は変化していった。詳細をいうとマイルスはフリージャズには行かなかった、そのかわり民俗的だったりアーシーな音楽に変わっていったと言えるけど、どちらにせよきれいなメロディだけを求めない音楽に変わっていった」
「そうして最初の頃のファンは離れて行ったの」
「そう、やっぱりぼくもそうだけど、音楽の中のごちそうといえるのはメロディだと思う人が多いから、アドリブばかりのジャズや音楽形態が今までと大きく違う音楽にはついていけない」
「何となくあなたの言いたいことはわかったけど、メロディで勝負できない、土俵に立てない私たちの音楽がたくさんの人に知ってもらうためにはどうすればいいのかしら」
「そうだなー、やっぱりスターが出ることと定期的に知ってもらうラジオやテレビ番組を持つことだろうね。でもウィーンや例えばニューヨークで最新の現代音楽に触れることが出来たとしても、演奏家に知名度がないことや言葉の壁が問題になって日本では現代音楽を受け入れられる可能性は極めて低いと思う」
「そうよね、それに例えば、スターが現れたとしてもそんなに長くは輝き続けることはできないわね」
「そういうことだから、シェーンベルク先生やエリザベートもぼくと同じように地味にやっていくしかなんじゃないかな」
「わかったわ、先生にはそう言っとくけど、また清田さんのところに現れるかも」
「そうかい、楽しみにしているよ」