プチ小説「東海道線の妖精 2」

石井は米原に星を見に行った帰りに出会った「妖精のおじさん」にもう一度会いたくて、何度か同じ時刻に能登川駅から電車に乗り込んだが、おじさんには会えなかった。諦めきれないし、おじさんに頼みたいことがあったので、週末を利用しておじさん探訪を続けていた。今週も金曜日の仕事を終えてから、JR吹田駅から米原まで行きすぐに折り返して、能登川駅で降車し一旦駅舎を出て周辺を歩き回ってから次の新快速に乗ったのだった。
<そりゃそうだよな、おじさんだって忙しいんだ。ぼくの相手ばかりしていられないだろう。それから妖精のおじさんが仕事を終えて一杯飲み屋でいっぱい飲んでから電車に乗るというのは考えにくいし>
石井は諦めがいい方だったが、今回は幼馴染の女の子に夢の中で会えたという大きな喜びを与えられたので簡単に諦めることは出来なかった。松子は石井の初恋の人だったし、小学校六年生の春休みに引っ越しで離れ離れになり、筆不精の石井が手紙を出さなかったためにその後が続かなかった。引っ越しがなければ、その後も付き合いは続いて、この年になったら、2人は子供ができていただろうと石井は思った。
<松子はぼくと同い年だから、今年で34才なんだ...でも、きっともう連れ合いができて、子供もいることだろう。そう思っていたけど、あのおじさんの妖精が松子のことを知っていて、わざわざぼくと引き合わせたのは何かあるんじゃないかと思うのは、思い過ごしだろうか...>
石井は車窓から夜景を見ていたが、突然あたりが暗くなり、思い過ごしとちゃうんやでーと隣で囁くのを聞いたので、石井はぎょっとした。斜め向かいの座席を見ると、いつの間にか待ち望んだ人物がそこに座って石井を見ていた。
「やあ、久しぶりやね。元気にしとったか」
「ええ、あなたはぼくに希望を与えて下さったんです」
「ちょっ、ちょっと待ってや。突然そんなこと言うても。わしはあんたと幼馴染を引き合わせたけんど、キューピットになるつもりはないよ。第一恋愛は相手がいるもんや」
「でもこの前に松子と会った時は、ただ夢の中で会っているという感じではなくて、小学生の時に仲良くしていた時と同じでした。手を握ったのでぬくもりも感じたんです」
「夢の中でぬくもりを感じたから、これは再会が実現するかもしれないと思ったわけや。でも残念やな―、それはあんたの思い過ごしや。ただ成り行きでそうなっただけなんや」
「いえいえ、ぼくは決して諦めないですよ。あなたが協力しないと言うのなら、彼女の家を教えてください。自分で彼女を訪ねて、求婚しますから」
おじさんは石井をじっと見つめてから、手帳を開いて鉛筆でしるしをつけてから鉛筆を持った右手を上下させながら話した。
「実はなぁ、わしはキューピットの仕事もちょっとだけ携わっていてな、あんたを助けることもできるんや。手帳に、石井さんをサポートするということもここに書いたから、少しは期待してもいい。ただ今から言うことは守ってもらわんと続けられんということを認識してほしい」
石井はどういう顔をしていいかわからなかったので、車窓の方に顔を向けたが、そこに写っているはずのおじさんの姿はなかった。
「そうや、わしは妖精やから鏡に姿は写らん。そやけんど、約束したことは守る。わしはこう見えてもあんたのような恋愛がうまく行かんかった人を助けて感謝してもらったことがようけある」
「そのー、守らないといけないことってなんですか」
「ひとつは、わしの縄張りというのがこの東海道線の電車の中だけでな、ここでしかあんたと接することができないということやアドバイスや彼女とのデートの時に直にアドバイスが必要やったら、この電車に乗らんといかん。それからわしの姿はあんたにしか見えん。他の人には時間も照明も普段どおりや。まあいっぺん経験したらそのあたりのことは分かるやろ。それからもうひとつは、今まで音沙汰がなかった人が突然現れて、付き合ってちょーだいちゅーても、怖がられるだけやから、こっちも作戦を立てんといかん」
「よくわかりました。あなたのお話から察するに松子さんともう一度やり直せるということですね」
「そういう表現が適切かどうかやが、わしはあんたのために骨を折ったってもええと思うとる」
石井はすぐに鞄の中から500ミリリットルのレモンチューハイを取り出して、おじさんの手に握らせた。
「おおきに。そしたら次はこれからどうやって松子はんとあんたを引き合わせるか、考えるとしよう。ではまた、しーゆーあげいん」
石井は手に持っていた缶チューハイもおじさんと一緒に消えて辺りが明るくなったので、何事もなかったように鞄から文庫本を取り出して読み始めた。