プチ小説「東海道線の妖精 3」
石井は妖精のおじさんが幼馴染の彼女との恋愛の提灯持ちを引き受けてくれたので、毎週末にはJR吹田駅から米原まで通うことに決めた。それから3週目に待ち望んだ人物と再会できた。今までと同じようにおじさんがシートに座ると、あたりは暗くなり時間が静止した。
「やあ、ここまで来てくれて、ありがとう、○○淳」
「いいえ、将来のためなんですから、僕はこれくらいのことは厭いません」
「うーむ、あかん、やめや、熱が冷めて来た」
「ど、どうゆうことですか」
「あんた、大阪人やろ、大阪人やったら、相手がおもろいことを言うたり、やりよったら、ただちに反応せなあかん。ありがとう、○○淳ちゅーたら、例えば、こんにちは、○○ちゃんでーすとか反応せなあかん。おもちゃのカタナで切りつけられたら、天を仰いて死にそうな顔をして尻から落っこちるちゅーシーンがすぐに浮かばんようでは大阪ではやって行けんよ」
「そうなんですね、じゃあ、こんちは、△△です」
「そうそう、そんな感じで、楽しく、あんまり細かいことは言わんとやっていこ。そやけんど恋愛の場合は台本を作っといた方がええから、今日はそのことを説明しよ」
「台本ですか」
「そうそう、あんたら恋愛の素人は、「好きや」ちゅーてええ反応やったら、後は成り行きまかせというところがある。それはあかんと思うんや」
「えーっ、「好きです」と言って、「うちもよ」と言ってくれて、ラブラブになってもあかんのですか」
「そう、それだけでは、ええとこ2、3回で冷めてしまうんや」
「それで、台本ですか」
「そう継続させるために、先人の知恵を借りるんや。ずっと継続させるためには、行き当たりばったりよりストーリーがあった方がええんよ」
「仰ることは何となくわかりますが、それでうまく行きますか」
「そら、1回や2回ではうまい事行かんかも知らん。そやけんど20回くらいストーリー性のあるプロポーズをされたら、彼女の心も傾いていくかもしれんし、あんたも恋愛上手になるんとちゃうかな」
「ということは、長期戦を覚悟しなければならないのですね。でも何度も何度もぼくと話してくれるのでしょうか」
「今から言うことは大雑把に聞いてほしい。詳細のことに突っ込まれると困るんやが、まず前にも言ったように、彼女との恋愛はこの電車の中でわしが横に座った形で展開していく。飽きたらたまには他のとこでやってもええんやが、基本は...」
「米原から京都までの新快速の中ですね。と言うと1時間くらいですか。で妖精さんがぼくの横に座られるんですね」
「そう、わしはあんたにしか見えんからな。そのわずかな時間の間にあんたは松子さんに夢のある事を言って、あんたに興味を抱かせる。もしうまいこと行かんかっても心配せんでええ、仕切り直しになるから。一応その時の松子さんの記憶はなくなる」
「でも、向かい合わせに座って話せることって、限られるんじゃないですか」
「そう、そこでストーリーを展開することになる」
「うーん、よくわからないなぁ。例えば、どんなのがあります」
「そうやなー、あんまりヒントを与えるのはアカンのやが、例えば、歌劇「ラ・ボエーム」の中のミミとロドルフォの出会いは印象的や」
「お針子のミミが、ボヘミアンの詩人ロドルフォのところにカンテラの火を借りに来るところから始まりますね。「冷たい手を」をロドルフォが歌ってふたりの距離が縮まりますね」
「そうそう、そんな感じでやったらえんやで、女性は印象的な場面に弱いんやで」
「でも「ラ・ボエーム」にはいくつか妖精さんが言われるストーリーに会わないところがあります」
「ほう、どんなとこかな」
「ロドルフォは3人の仲間と貧しいけど賑やかにクリスマス・イヴの集いをしているところにミミがやってきます。このシチュエーションと電車の向かい合わせの席とは大違いです」
「そうやな、それは検討課題やな」
「検討課題ですか...それから「ラ・ボエーム」はミミの死という悲劇的結末で幕を閉じます。まさか、最後にぼくが失恋して、「ミィミー、ミィミー」とか歌わないといけないというのではないのでしょうね」
「いや、わしはハッピーエンドを想定しとる。そやないと提灯持ちを成し遂げたということにはならんからな。そやからあんたは、「ラ・ボエーム」のええとこ取りをしてストーリーを作ったらよろし、そうや最初はそれで行こ。今度、会う時までに、恋愛が成就する、「ラ・ボエーム」を参考にしたストーリーを作って来てちょうだい。見たるから」
「わかりました、また3週間後に来ます。それじゃあ、ささやかですが」
そう言って石井が妖精のおじさんにレモンチューハイ500ミリリットル缶を渡すと、辺りが明るくなりおじさんは山科駅で降りた。