プチ小説「東海道線の妖精 6」

石井は前回妖精のおじさんが石井のことを慮ってあちこち連れて行ってくれたので、今日はこれまで以上に熱心に話を聞けると思った。労働者風の格好なのでついつい気軽に話掛けてしまうが、話の内容は濃く、わかりやすい。よく考えてみるとこれ以上の先生はいないので、もっと生徒らしくしないといけないなと思った。石井の前に妖精のおじさんが座るとすぐに石井は挨拶した。
「こんばんは。先日は、いろいろなところに連れて行っていただき、ありがとうございました」
「そうか、気に入ってくれたんや。連れて行った甲斐があったちゅーわけや」
「それにしても凄いことができるんですね。でもぼくはあなたのことを妖精のおじさんと呼ぶことしかできません。よろしかったらお名前を教えていただけませんか。例えば山口さんなら、山口先生とお呼びしたいので」
「それでええんとちゃうの」
「ど、どういうことですか」
「わしらの世界でも名前はあるけど、この世界の名前と全然違っとる。50文字くらいあるんやが、それに先生を付けて呼んでもらうより、日本人の仮のの名前で呼んでもらった方がええと思うよ」
「でも、この世界にいる時の名前とかはないんですか」
「前にも言ったけど、この世界の人間との付き合いは長い。ほやから呼び名はあった。でもなそれも仮の名前やからね。あんたとわしとの間で使い勝手がええような名前にしたらよろし」
「そうですか、それじゃあ、中学2年の時の担任の先生が山口だったので、山口先生と呼ばせていただきます」
「よし、ほんだら、こっちも石井はんでは師弟関係には思えんから、石井君と呼ばせてもらうわ。ところで石井君、今からプッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」に関して3つの質問をするから答えてな。第1問、ロドルフォはミミに一目惚れして、気を引こうとミミの手に触れたり、自分のことを語ったり、自分の夢を語っとる。そうしてミミにも自分のことを話すよう「あなたの話をしてください」と言っとる。そうしてミミからの話を聞いてからは二人は切っても切れない間柄になっとるわけやが、今の世の中では考えられないことや。ちゅーわけで、なんでこんな風に最近では男女が最初の出会いで深い中になることが難しくなったか答えてほしい」
「それは男女とも、恋愛に固執しなくなったことが原因なんじゃないですか。ロドルフォとミミの時代だと恋愛し結婚して子供を作ることが必須だったでしょうけど、最近は男も女も恋愛以外のこと、仕事だけを生き甲斐にすること、お金を貯めること、娯楽にのめり込むことなんかで女性に対して興味を持たないという人がいますし、最初の出会いで、お互いのことを率直に語り合わなくなった。それより探り合いをして問題がないか確認するようになったというか、それに」
「それになんや」
「今は取り残されたくないという気持ちを持っていて、一通りの情報を毎日振り返らないと安心できない人がたくさんいるようです。そんな人にとっては仮に好きな人ができても、その人のことを思って毎日過ごすということはなく、ただの情報の一つに過ぎないのではないでしょうか」
「それはあんた独自の見解やわ。やっぱり男なら、ええ子がおったら、お友達になりたい。できたら深く付き合いたいと思い続けるもんや」
「わかりました。改めます」
「では第2問、あんたは、ロドルフォはミミが病気になったのは貧乏な生活のためだからちゅーて別れたけんど、ロドルフォが地道に働いてミミとふたりで堅実な生活をしていたら、悲劇的な終わりはなかったちゅーとったけど、ボヘミアンの生活をしとった人が好きやんが病気になったから、君たちとは別れると突然宣言できると思うか」
「そうですね、確かにぼくたちには断ち切れない人間関係、物欲があると思います。ある意味、好きな人と新しい生活を始めるためには、そんな別れが欠かせないのかもしれません。でもどうしても断ち切れない人間関係はあるでしょうね。回答としては、それは難しいという回答になるしかないですね」
「あんたがやれないことを、偉そうにそうしたらよかったなんて言わん方がええよ」
「でも、見解と自分が実際やることは違うと思います」
「いや、わしはそういうのは嫌いや。あんたは冗談として言っとるんかもしれんけど、ロドルフォは考えに考えた末に別れた。ここには断腸の思いとか身が引き裂かれるような思いがあったと思う。それを考えんといて地道な仕事をしたらええちゅーのは、心のある人間が考えることと違うわ」
「わかりました、改めます」
「では第3問、以上のことを踏まえた上で、どのようなことをすれば恋愛がうまく行くか考えなさい」
「それは、山口先生が言われたように、主人公(ロドルフォ)になったつもりでロドルフォとミミの恋愛をじっくり見なおさないと駄目なんでしょうが、まだまだ理解できていないです。次回までにじっくりと考えさせてください」
「そうやね、もうちょっと考えてみた方がええと思うよ。そうしたら少しはましな考えに辿り着くかもしれんから」
石井が恐る恐る500mlのの缶チューハイを差し出すと妖精は、いつもありがとうと言ってそれを受け取った。
「まあ、ちょっと厳しいことを言うたけど、無責任な発言は決してしたらあかんちゅーことや。創作したものにリアリティーがあるかどうかは、作者がいかに真剣にその問題(物語)に取り組んでいるかどうかや。状況を熟考してロドルフォがミミと別れたというストーリー展開やからみんなの涙を誘い、感動を与えたわけやけど、あんたが言うような展開やったら...。それこそ喜劇になってしまうわ。気いつけや」
石井が500mlの缶チューハイ2本をおじさんに手渡すと、おじさんは出口へと急いだ。