大久保一久さんを偲んで(これはプチ小説ではありません)
今から47年前(丁度私が高校に入学した頃)、当時はフォークブームだったので、私は夏休みに入ってからとりあえず、かぐや姫のベストアルバム「フォーエバー」を購入しました。何度か聞くうちに伊勢正三さんの作詞または作詞作曲した曲が自分の好みだなと思い、伊勢正三さんと大久保一久さんが結成した風に興味を持ちました。その年(1975年)の6月にファースト・アルバムが出ていたので、早速聞いてみました(すでに弟がこのレコードを購入していました)。「22才の別れ」が風の持ち歌としてラジオで流れていましたが、「なごり雪」と同様に、伊勢正三さんがかぐや姫時代に作詞作曲した歌なので、私はこの2曲を愛聴していましたが、他にいい曲がないものかとファーストアルバム「風ファーストアルバム」を聴いたものでした。後にイルカさんが歌って、ヒットした「海岸通り」をはじめ喜多条忠作詞の「星空」、伊勢正三作詞作曲の「でいどりーむ」「あいつ」「お前だけが」は一度アルバムを聴いただけで、じんと心に残りました。その後聴き込むうちに親近感を持つようになったのが、大久保一久さん作詞・作曲の「なんとなく」「ロンリネス」、大久保一久さん作曲の「東京1975」でした。1975年12月に「あの唄はもう唄はないのですか」、1976年1月にはセカンド・アルバム「時は流れて」が出てからは、風の絶頂期でした。「時は流れて」は写真部の後輩から借りて聴きましたが、冒頭の「北国列車」と「まぶしすぎる街」の激しさ(当時はそう思ったのです)に良いイメージを持てなかったのですが、何度か聴くうちに、伊勢正三さん作詞作曲の「何かいいことありそうな明日」「忘れゆく歴史」「あの唄はもう唄わないのですか」(シングル盤と編曲が異なる)「暦の上では」「終わりのない唄」が編曲も素晴らしい曲とわかり徐々にこのアルバムが好きになって行きました。そうしたある日に風のライヴがFM放送で流れ、その中で大久保一久さんが「古都」(伊勢正三作詞、大久保和久作曲)と「三丁目の夕焼け」(大久保一久作詞・作曲)を歌われ、大久保一久さんの歌声が好きになりました(この時、番組進行役のアナウンサーが、デュエットしないデュオといったことを言っているのを聴いて、そうなのかと私は思ったものでした)。その他に「時は流れて」には、大久保一久さん作詞・作曲の「ふるさとの街は今も」(大久保一久さんの曲で私が一番好きな曲)、「あなたへ」が入っていて、これからは大久保一久さんの佳曲もアルバムでたくさん聴けるんだな、アコースティックギターで(ギター一本で)歌うことができる曲を風はたくさん作ってくれるんだなと大きな期待を持ったものでした。1976年6月には「ささやかなこの人生」が出されて、伊勢正三さんの人生観のようなものが語られていて、フォークソングもこんなメッセージを運べるんだと思ったものでした。ところが、1976年11月に発売された「WINDLESS
BLUE」は、当時ニューミュージックという言葉がフォークソングに置き換えられ始め、風もそれに乗ろうとしたのか、今までとまったく異なったエレキサウンドとなったのでした。また冒頭の「ほおづえをつく女」の歌詞の内容は衝撃的で、なぜこんな風のイメージと合わない曲をエレキサウンドに乗せて、歌わなきゃならないのと思ったものでした。それでも「地平線の見える街」「君と歩いた青春」「少しだけの荷物」は一度聴いただけで好きになったので、このレコードのB面はしばしば聴いたものでした。大久保一久さんの作詞・作曲で「夜の国道」「旅の午後」「小さな手」「ふっと気がつきゃ」も良い曲だと思ったのですが、必要以上に絡みついてくるエレキサウンドが悪い印象に繋がり、なぜ風は方針転換したのか、前は良かったのにという思いを増幅させたものでした。予約までして購入した「WINDLESS
BLUE」は、人から借りて聴くというのではなく自分で購入しました。何度か聴いて、せっかく小遣いを叩いて買ったのにあんまりですと思ったものでした。その後風は、「海風」と「MOONY
NIGHT 月が射す夜」を出しますが、当時私は受験でフォークソング(ニューミュージック)をじっくり聴く気になれず、「海風」の冒頭を聴いて、風を聴くことはなくなったのでした。
それから20年余りは、勉強や仕事に差し障りのないもの(どうしても日本語の歌詞があるとそちらに耳が行って勉強などに集中できません)をと、クラシック音楽ばかりを聴いてきましたが、40才半ば頃からしばしば昔を懐かしんで風を聴くようになりました。聴くのはファーストアルバム「風ファーストアルバム」ですが、たまに「時は流れて」も聴きます。そうしていつも思うのですが、当時のニューミュージックの流れに押し流されないで、地道にアコーステックサウンドのアルバムが出されていたら、もっと風が好きになっただろうなと思うのです。特に大久保一久さんが作った曲がアコースティックサウンドに合った形で良くなっていたので、「WINDLESS
BLUE」のようなサウンドでなかったら、もしかしたら3枚目のアルバムはたくさんのアコースティックギター好きの人に(愛好家に)迎え入れられたのではないかと思うのです。なぜ風が突然エレキサウンドに目覚めたのでしょう。今でも不思議に思っています。それでも大久保一久さんの「なんとなく」「三丁目の夕焼け」「ふるさとの街は今も」「あなたへ」はいつでもレコードで聴けるので(残念ながらベストアルバム(CD)ではあまり聴かれません)、風の全盛時代を懐かしんで2年に1度くらいは聴いています。一緒に、うおううおうお、ふるさとのまちーはいまもー♫という感じで歌いながら。