プチ小説「東海道線の妖精 10」

石井は、妖精のおじさんから、歌劇「椿姫」をじっくり味わってみて、どのようなことをすれば恋愛がうまく行くか考えなさいと言われたので、歌劇「椿姫」のプレヴィターリ盤をBGMにしながら、じっくり考えてみた。
「このレコードでヴィオレッタの役を演じている(歌唱している)のが、アンナ・モッフォなんだ。アンナ・モッフォと言えば、ストコフスキーと共演した、ラフマニノフのヴォカリーズが有名だが、アメリカ出身の美人歌手として1960年代はすごい人気だったと聞く。ぼくは、モッフォの愛称歌集("One Night of Love")というのを持っていて、その中の「イフ・アイ・ラヴド・ユー」は心に沁みる名演だった。それはそれとして先生は、この歌劇から恋愛がうまく行くためにどうすればいいかを考えよと言われている。歌劇「椿姫」で目立つのは、アルフレードの父ジュルジュ・ジェルモン(以下、ジェルモン)だ。幸せな生活をしているヴィオレッタのところに突然現れて、娘(アルフレードの妹)の縁談に差し支えるから別れてくれと迫る。ヴィオレッタが自分のことしか考えない高級娼婦ならきっと、そんなことは私には関係ありません。お帰り下さいと言ったことだろう。でもそうしないで「わかりました。別れます」となり、元の生活に戻っていく、その後アルフレードの怒りの矛先は新しいパトロンとなった、ドゥフォールに向けられ、ふたりは決闘をするが、そのためアルフレードは海外に逃亡してしまう。第3幕の最初の場面、ヴィオレッタが病床に臥せるようになるまでいろいろなことがある。決闘の相手の回復、父親がヴィオレッタとの結婚を認める、アルフレードの帰国、ヴィオレッタの病気の悪化。アルフレードが病床に駆け付けた時には、死の床に就いていた。なんで、もっと早くヴィオレッタのところに来られなかったのかというのが、誰もが思うことだろう。このあたりの展開というか進行というのはヴェルディのうまさを感じるなぁ。それにしてもなぜヴィオレッタはジェルモンから相談を受けたことをアルフレードに黙っていたんだろう」
そんなことを考えて、中学生の卒業アルバムを手に取ると3年3組のページを開いた。
<この頃は、松子さんもぼくも初々しい学生だった。松子さんはおさげ髪でぼくは刈り上げ、セーラー服と詰襟の写真がここにはある。実際の彼女は今どんな風な容貌になっているのだろう。ぼくはあんまり変わっていないけど、松子さんはアンナ・モッフォが活躍していたころのような立派な容姿になっているのかもしれないな>

前回妖精のおじさんと会ってから3週間経過して、石井は米原行きの新快速電車に乗った。終点の米原で下車して、一旦改札口を出てから今度は大阪方面行きの新快速電車に乗った。能登川駅に着くと妖精のおじさんが入って来て、石井の向かいの席に座ると辺りは暗くなった。
「どうや、何か掴んだか」
「そうですね。分岐点は、ヴィオレッタが意外にもアルフレードのお父さんの言葉に心を動かされて、あっさりアルフレードと二人の生活を止めてしまったことですか。お父さんが言われたことは結構説得力があったと思いますが、例えば一度はアルフレードに、お父様が娘の縁談に支障があるので別れてほしいと言われているのと相談してもよかったかなと思います」
「確かにそうやけど。わしが言うとるのは、この歌劇から何を学ぶかなんやが」
「振り返ってみて、この時にアルフレードがこうしていればとか、ヴィオレッタがああしていればというのはない気がします。この歌劇には、最初から悲劇的結末が用意されていたという気がします。悲劇を引き締まった緊迫したものにするために。舞踏会でのアルフレードの心遣い、ささやき→ヴィオレッタのときめき→ふたりでの幸せな生活→ジェルモンからの要請→ヴィオレッタが元の生活に戻る→アルフレードがドゥフォールと決闘して海外へ→ヴィオレッタの肺結核の悪化→父の許しが出てヴィオレッタの病床に駆け付けるが、時すでに遅く...という流れに竿をさすのは難しいと思います。そんな困難が嫌なら、最初から普通の女性を愛すればよかった」
「そんなん言うたら、熱い恋愛はできないということになるよ。この歌劇からの教訓は、多少の困難は覚悟で恋愛には望まんといかん、結果はどうであれ。恋愛はそういうもんやということや。あっ、わしが答えを言うてもた」
「そうですね。言われてみれば、確かに」
「そしたら、そういうことで歌劇「椿姫」はこれで終わるけど、次はドイツ・オペラで行こ。ワーグナーの「タンホイザー」や」
「あの、ウォルフラムのレチタティーボとアリア「夕星の歌」で有名なオペラですね」
「序曲もええと思うよ。そういうことやから、次はがんばってよー」
石井が、〇にぎりせんべいの大入り袋を渡すとおじさんは、おおきにと言って山科駅で下車した。