プチ小説「東海道線の妖精 11」

石井は妖精のおじさんから、次はワーグナーのタンホイザーで行くよと言われたので、充分下調べをしてから米原行きの新快速電車に乗った。
<歌劇「タンホイザー」は、ワーグナーの出世作であると同時に、他のワーグナーのオペラに比べて筋がわかりやすく一番親しまれている作品と言える。ヴェーヌスと享楽的な生活をヴェーヌスベルクで送っていたタンホイザーがある日夢で自分の故郷を思い出し、ヴェーヌスベルクを離れる。最初は昔の友人たちも温かく迎え、かつての恋人エリザベートも再会を喜ぶが、領主主催の歌合戦で、快楽の女神ヴェーヌスを讃えてしまったため大騒ぎとなり、タンホイザーは友人のウォルフラムとエリザベート以外の人からは非難される。エリザベートは領主に許しを乞うが、ローマに巡礼し教皇の赦しが得られれば戻って来ても良いと言われる。この巡礼の際にヴォルフラムがタンホイザーの無事を祈って後を追いかけるエリザベートの安全を願って歌うのが、「夕星の歌」で本当に心が温まる歌なんだ。この歌の前にエリザベートは、自らの死をもってローマ教皇の許しを得ようと決意していることを話す。タンホイザーがは苦労してローマから故郷に戻って来るが、ヴォルフラムに、教皇から、「罪はあまりに重い」「私の杖が芽吹くことがないのと同じように、永遠に救われない」と宣告される。タンホイザーは自暴自棄になり、ヴェーヌスの名を呼ぶが、ヴォルフラムは懸命に引き留める。そこにエリザベートの葬列が現れ、タンホイザーは亡骸に寄り添って倒れ息を引き取る。そこへ教皇からの使いが到着し、杖が芽吹いたことを告げるといった内容だが、この歌劇の特徴は台本の内容が厳粛なのにかかわらず、序曲の最後のところで踊られるダンスなど、享楽的な場面で踊られるダンスが本当に...>
石井は米原駅で折り返して近江八幡まで来ていたが、妖精のおじさんが現れないので、今日はお休みなのかなと思った。石井がふと網棚を見ると、妖精のおじさんが網棚で横になって石井を見つめていた。あたりは暗くなって静止していた。
「そこにいらしたのですか。今日は遅かったのですね」
「いいや、能登川駅を過ぎた時にはここにおったよ。あんたが気付かんかっただけや。きれいなお姉さんやったら、早く気付いとったんとちゃうん。オッサンやから、目に跳び込んでけーへんのとちゃうんか」
「ぼくはそんな選別はしません。本当に今気付いたんです」
「そんな向きにならんでもよろし。でもなワーグナーは大変な女性好きやったし、そのエロティシズムも相当なもんや」
「ぼくもワーグナーの伝記を読んだり、ワーグナーの「タンホイザー」などのDVDを見て、それはわかっています。実はぼくは、サヴァリッシュが指揮する「タンホイザー」のレコードを聴いて、この歌劇は信仰心が篤い人のための宗教的な説話と思い込んでいたのです。そうしたある日にある放送局が、オペラの上演を記録した映像を上演するということで、「タンホイザー」を見に行ったのですが、序曲の最初の信仰的なテーマが終わって、ヴェーヌスベルクの音楽が始まったたとたんに半裸体の男女が踊り出て来て身をくねらせて踊り出したのです。ぼくは口をあんぐりと開けて見ていましたが、自分が思っていたことが大間違いだったことを恥じました。それでも後半部分を何度か聴くとやっぱり信仰心が篤い人が聴くものだとまた思い込むようになりました。だって後半は間違いなくそういう音楽ですから。でも数年前に見たDVDでも最初の部分はとてもエ...>
「ワーグナーは、ヴェーヌスベルクの場面に変わったことをわかりやすくするためにそういう演出にしたのとちゃうんかな。ワーグナーはオペラのすべてに携わっていたからね。ところでもう時間もわずかになってしもうたから、次の時でええけど、いつものようにこのオペラが際立つところと学べるところを発表してほしい」
「ぼくは、タンホイザーとエリザベートの恋愛だけでは平板だったけど、タンホイザーとは熱い友情で結ばれ、エリザベートとは片思いのヴォルフラムの存在が「タンホイザー」の物語を重厚なものにしていると思います。第1幕最後のところの昔の友人との再会もウォルフラムの導きがなければ成立しないでしょう」
「そのあたりを調べると面白いかもしれんな。ほたらまた3週間後に来てちょうだい」
石井が瀬田駅に着いて鞄からチョコレートを取り出して妖精のおじさんに渡すと、妖精のおじさんはそれを鞄にしまって席を立って下車した。