プチ小説「東海道線の妖精 13」

石井は、妖精のおじさんの支えを失ってすごい速さで落下していたので、このままみんなとお別れになるのかと暗い気持ちになったが、目を閉じてしばらくして目を開けるといつものように新快速電車のシートに妖精のおじさんと向かい合わせで座っていた。おじさんは少し怒っているようだった。
「あんたと夜間飛行を楽しもうと思っとったのに、水を差しよって」
「すみません、改めます。ありきたりのことを言っても仕方ないですよね」
「いや、それがもっともなことやと思わせることやったらわしは何も言わんけど、ドイツ・オペラが厳格やとか、それは一般論やと言われてもピンと来んから、もういっぺんちゃんと予習してからおいでということになるんや。ドイツ・オペラの中には面白いのがあるかもしれんし、第一演出によって様変わりすることもあるやろ。一般論ちゅーのはあんたらのような若い人が使うもんとちゃうと思うよ。あんたらの場合はいろんな成果を発表して、自分やったらこう思うと説明するのが、後の人に道筋をつけるためにもやってあげんといかんことやと思う。ヴィントガッセンが受けたのは、常に新しいワーグナーのオペラのヒーローを模索していたから、新鮮だったから迎えられた。昔のヒーローの真似事やったら、厳しいオペラ界で20年近く輝き続けることはでけんかったと思うでぇ」
「それでは、もしかしたらぼくと松子さんとの恋愛においても常に斬新なことを求めておられるのですか」
「それは違うな。試行錯誤を繰り返して、経験値を上げていく、そうしたら松子さんとおつき合いするようになっても困らんということや」
「でもそのための方法を19世紀のオペラから学ばなくてはならないんでしょうか。今まで習った3つのオペラからは、何も学ばなかったような気がするんですが」
「よし、わかった。あんたが言う通りかもしれんけど、わしは3つのオペラから、次のことを学んだんや。1.歌劇「ラ・ボエーム」 好きになったら離れたらあかん。いつも一緒におり。 2.歌劇「椿姫」 親から反対されてもいつかは味方になってくれる。短気を起こさんとき。 3.歌劇「タンホイザー」 どんな展開となっても恋人を自死させたらあかん。この世で楽しい生活を二人で送らんと意味はない。 なんかを言うてくれてたら、石井君はしっかりと歌劇の大切なところを掴みよったと褒めたるねんけど。あんたは学ぶところがないと言って、先人の知恵を頭から否定する。それでは松子さんも見放すと思うよ」
「み、見捨てないでください。これからはぼくも先人が残した歌劇や文学やマンガの精髄を一所懸命に抽出するようにします」
「よし、それやったら、今から京都に着くまでの間で、歌劇「タンホイザー」の中で心に残ることがあったら、発表しなさい」
「ぼくはこのオペラの中に両極端の性格の男女を登場させ、対比、反発させようとしている気がします。もちろんタンホイザーとエリザベートです。タンホイザーは外向的で活発で明るい、エリザベートは内向的でしとやかでおとなしい。タンホイザーが危機に陥った時、普通なら一緒に困難に立ち向かうところですが、内向的でおとなしいエリザベートは数歩下がったっところでタンホイザーが無事にローマから帰ってくることを祈っています。このようになったのはエリザベートの父で領主のヘルマンのせいかもしれませんし、タンホイザーよりも数倍エリザベートと一緒にいることが多いヴォルフラムのせいかもしれません。でもそんなエリザベートを自分に近づけるために、タンホイザーは歌合戦でいいところをエリザベートに見せつけるだけでなく、寄り添って話を聞いてあげれば、エリザベートのタンホイザーの評価も変わったのかもしれません。突然、自分の前から姿を消して、ヴェーヌスベルクで好き放題の生活をしていたタンホイザーが帰って来たとしても、自分はどのように向き合ったらいいのかしらとエリザベートはきっと思うことでしょう。そんな時にタンホイザーが正直な気持ちをエリザベートに打ち明けていたら、タンホイザーのために自らの命を絶つという考え方は間違い。一緒にいないと意味がないと気付いたでしょう。一緒に生きて幸せに暮らさないと意味がないと思って、そのためにはどうすればよいかを考えたことでしょう。そんなことを話す機会があったかどうかは別としてですが」
「よーし、わかったでぇえ。あんたの言うことは自分が考えて消化していることがようわかるから、それでよしとするわ」
「よかった。では次は歌合戦の内容について検討しますか」
「いいや、次回はモーツァルトの「魔笛」を検討しよ。ほんとは、ほんとは夜の女王はタミーノが好きだったとかちゅーのも面白い検討課題やと思うけど」
「わかりました。次回からはまじめに頑張ります」