プチ小説「東海道線の妖精 14」

石井は前回妖精のおじさんに教育的指導を受けたので、歌劇「魔笛」について下調べをしてから授業に臨むことにした。
<モーツァルトの歌劇「魔笛」は、ドイツ・オペラのジングシュピールに類別される。これは、台詞と歌が交互に出て来るオペラだ。イタリア・オペラの場合、オペラ・セリア(モーツァルトで言うと「イドメネオ」「皇帝ティートの慈悲」など)とオペラ・ブッファ(モーツァルトで言うと「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「コシ・ファン・トゥッテ」)があるが、これらはぼくが知る限り歌だけで構成される。歌で怒りとか親愛の情を表すのはとても難しいとぼくは思うが、例えば、パパゲーノが、「タミーノぉ」とか「パッパゲーナぁ」と歌ではなく語るとパパゲーノのやさしさが感じられてオペラに親近感がわく。このパパゲーナの歌(ジング)と語り(シュピール)の使い分けが歌劇「魔笛」の最大の魅力だと思う。夜の女王のアリア「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」は超絶技巧のぼくが大好きなアリアなんだが、むしろパパゲーノが歌う、「私は鳥刺し」「娘か可愛い女房が一人」なんかの方が、このオペラの雰囲気に合っているような気がする。神官ザラストロと夜の女王との戦いやザラストロの奴隷頭モノスタトスが夜の女王の娘パミーナを誘拐して物語を複雑にするが、メインストーリーはタミーノがパミーナを見染め、神官ザラストロから試練の儀式を受けるよう言われ、それを無事にやり遂げてめでたく結ばれるというものだ。それに付随する形で、パパゲーノは心を入れ替えてタミーノの修行に協力したおかげでパパゲーナという良き伴侶を授かる。悪人の夜の女王とモノスタトスは最後の反撃を試みるが、ザラストロに打ち負かされてしまうといった具合に物語が展開する。この前、山口先生が言われたように、夜の女王が、自分の娘を取り戻してほしいとタミーノに頼むときに、「若者よ、恐れるな」と温かく歌って、励ましたりしているし、夜の女王が少しはタミーノに恋心を抱いたかもしれない。でも恋愛としては、タミーノとパミーナの恋愛、それからパパゲーノとパパゲーナの恋愛ということになるのかな>
新快速電車が終点の米原駅に着いたので、改札を出て帰りの乗車券を購入し改札口を再度くぐってホームに降りた。大阪行きの新快速電車が来ていたので、石井は乗り込み4人向かい合わせシートの一つに座ると、疲れていたからかすぐに寝込んでしまった。寝入るとすぐに、自分が松子と歩いたことのある道にいることに気付いた。しばらくすると向かい側から一人の女性が現れた、面影があったのですぐにわかったが成人した松子だった。松子は笑顔で、こんにちはと言っただけで石井とすれ違い、そのまままっすぐに歩いて行った。夢から覚めると、向かいのシートに妖精のおじさんが座っていた。
「この前、あんたが今の様子を知りたいと言っていたから、見せてあげたんや」
「ありがとうございます。励みになります」
「ところで、まずはあんたの方から、歌劇「魔笛」について話してよ」
「わかりました。まず、この前、言われていた、夜の女王はタミーノに恋心を持っていたかということですが、夜の女王がタミーノに歌ったアリアに「若者よ、恐れるな」というのがあり、わが娘を連れ去られた、怒りと憎しみを歌っていますが、力が弱くてどうにもならないのであなたの力を借りたいと言っているだけで、恋愛感情のようなものは見られません。娘を助けてやってくださいと懇願しているという感じです」
「そうやな、あんたの言う通りやで。ところでこのオペラは主役のタミーノの恋愛より、パパゲーノの恋愛の方が素朴で楽しい。パパゲーノの楽しい恋愛がメインストーリと主張する愛好家の意見もあるんやが、あんたはどう思う」
「時間をストップウォッチで測ったわけではないのでアバウトな話ですが、パパゲーノとパパゲーナが一緒に出て来るところは、パパゲーナが老婆の格好をして登場をする場面と「パッパ、パパパパパパパパ...」と二重唱をする場面とで、他に印象に残る場面としては、タミーノとの漫才のようなやり取りをするところと3人の侍女に「パパゲーノ」と叱られる場面です。主役としてはあまりに貫禄がないので、やはり主役はタミーノで、試練を潜り抜けて幸せを摑むというのをメインストリーにした方がいいと思います」
「そうか、それやったら、次回までにそのメインストーリーの中から、タミーノからパミーナへの愛のささやき、パミーナの受け止めといったところを抜粋して、発表してもらおかな」
石井が、わかりました、調べておきますと言って、〇キンラーメンの5食パックを手渡すとおじさんは、これで夕食一回助かるわと言って大津駅で下車した。