プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生36」
小川は27才で体力に自信はあったが、夜中じゅう片付けをした後での結婚式は少し限界を超えていた。
結婚式は滞りなく終えることができたが、披露宴は睡魔との戦いだった。親戚や来賓の方が話す時には
相手が投げかける視線の上に自分の視線を乗っけていれば、睡魔はどこかに行ってくれたが、そうでない
時には鎹がはずれたようになって、くるくると視線があたりをさまよいいつしか眠りのブラックホールへと
吸い込まれてしまった。丁度、アユミがジャズの名曲メドレーをピアノで披露している時にその最も大きな
ものがやってきた。
夢に出て来た、ディケンズ先生が言った。
「お目出度い披露宴で新郎がグウグウ寝ていたのでは新婦が気の毒じゃないか。さあ目を覚まして、
それに今日のアユミさんは少しお酒が入っているようなので、気をつけた方がいいと思うな。ほら、
目を覚まさないと危ない」
小川が、目を開いてアユミの方に目をやると演奏をしながら明らかに怒った顔で小川の方を見ていた。
もう一度、居眠りしたらただではおかないぞと言っているようにも見えた。小川は悪寒を催したが、
それがなくなるとまた心地よい眠りについた。
「今は眠ってはいかん。君の側によりそって、ビンタを喰らわしたり、飛び蹴りを胸元に当てたりして
目を覚まさせたいが...。いかんいかん、ジョーナス・チャズルウィットのように凶暴になってしまった。
とにかくここは2番煎じになるが、言葉の力を信じて、アユミさんの怒りをかわしてくれ、さあ目を
覚まして。では成功を祈る」
小川が目を覚ますと演奏を終えたアユミが、激高して近寄って来た。アユミの夫が静止しようと後ろから
腰の当たりに抱きついていたが、アユミはかまわずに引きずって小川の席の前までやって来た。アユミは、
何しとるんじゃーと言ったが、小川は素直に謝り、昨日の仕事を終えてからずっと朝まで部屋の片付けを
していたことを話した。アユミは最初怒りのやり場に困り、夫の腕を振りほどいてグラス一杯の水を飲んだ
が、それで少し落ち着いたようで、「いいのよ」と言って席に戻って行った。
小川は申し訳なくて秋子の顔を見ることが出来なかったが、秋子はやさしく小川の手を取り握りしめた。