プチ小説「東海道線の妖精 16」

石井は最近妖精のおじさんが奇抜な登場をしてくれるので、ヴェルディの歌劇「トロヴァトーレ」の中で歌われる、第3幕のマンリーコのアリア「見よ、恐ろしい炎を」の最後の高音ハイCのところを歌いながら登場するのかなと思っていた。そうすると案の定、能登川駅でジプシーの格好をした妖精のおじさんが電車に乗り込んできて、辺りが暗くなると、おじさんは、「見よ、恐ろしい炎を」歌い出した。しかしおじさんは最後のところでハイCを出すことができず。ゴホンゴホンと咳込んで歌うのを止めた。
「いつもありがとうございます」
「いや、わしも楽しんでいるんやから、気をつかわんでもええよ。それより、歌劇「トロヴァトーレ」について調べて来たんか」
「「トロヴァトーレ」で有名なのは、今、山口先生が歌われた、「見よ、恐ろしい炎を」と第2幕最初のところのアンヴィル・コーラスなんですが、調べてみると、美しい女官レオノーラとジプシーのマンリーコ(放浪の騎士 アズチェーナの息子 実はルーナ伯爵の実弟)がお互いに愛し合っています。そこに割って入るのがルーナ伯爵で、第1幕からマンリーコとルーナ伯爵は火花を散らしています。それに絡むのが、アズチェーナの復讐劇で、最後は先代のルーナ伯爵の息子の一人がもう一人の息子を火刑にするように陥れるのですが、他にも愛するマンリーコのためにレオノーラが自らを犠牲にして服毒したり、暗い内容のオペラだと思います」
「ほたら、このオペラは恋愛をする上で、参考になる場面や台詞ちゅーのはないのかな」
「レオノーラがマンリーコに対する思いを歌うアリア「静かな夜」があります。騎馬試合で勝ったマンリーコに対して熱い思いをレオノーラが抱いていたのですが、ある日マンリーコがバルコニーの下に現れてレオノーラに対してリュートを自ら演奏して愛の歌を歌います。そんなことがあったとレオノーラは侍女に話しますが、その話を聞いた侍女は、危険な人物だから深入りしない方が良いですよと歌っています。そんなロマンチックな夜に、またリュートの音が聞こえてきます。レオノーラは憧れの男性に会えると思い、いそいそとリュートの音が聞こえるところに行きますが、間違えてルーナ伯爵に抱きついてしまい、それを見たマンリーコは、「裏切者!」と叫んでしまいます。レオノーラは間違いに気づきマンリーコに謝ります、マンリーコはそんな誠実なレオノーラに惹かれて愛を誓います。横で見ていたルーナ伯爵は、レオノーラに恋心を持っていることもあり、おもしろくありません。マンリーコが自分の敵であることがわかったので、決闘となり剣を交えますが、決着がつかず、それを見たレオノーラは気を失います。ここでは楽器を演奏しながら愛を語るという場面があって、ぼくもやってみたいなぁと思いますが、ぼくの場合、楽器は出来ますが、演奏しながら愛を語ることは無理です」
「へえ、石井君は楽器ができるんかいな。何を弾くんや」
「ぼくの場合は、弾くのではなく、吹くのです。クラリネットなので、ポロンと魅惑的な音を出して、それに合わせて歌うことはできません」
「そうかなー、口の中を鍛えれば、ホーミーみたいな感じで、クラリネットの音と歌声を一つの口から出せるんとちゃうのん」
「もし、そんなことができたら、ぼくは演芸で家を立てることができると思いますが、残念ながらぼくにはそれはできません」
「そうかそれは残念やな、そやけんど、クラリネットでロマンチックな曲を演奏するのも、彼女に好印象を与えるかもしれんから、あんたはクラリネットのレッスンに精を出すのがええんとちゃう」
「わかりました。その後は、母親(実は育ての親)アズチェーナの命を狙うルーナ伯爵から母親を守ろうとマンリーコは奮闘するので、レオノーラとの恋愛どころではなくなってしまいます。そんなマンリーコにもレオノーラは愛情を持ち続けて、アズチェーナがルーナ伯爵に捕らえられ、火刑に処されそうだと聞くとレオノーラはアズチェーナを救うために服毒してからルーナ伯爵に接近します。それを知ったマンリーコはレオノーラに、「伯爵に心を売った」と非難しますが、毒が回ってレオノーラは死んでしまいます。本当にレオノーラはマンリーコのために尽くすのに、何も報われずに死んでしまうという感じです。レオノーラを失ったルーナ伯爵は自暴自棄になり、マンリーコの処刑の方がアズチェーナのそれより先と考え、マンリーコを先に処刑します。アズチェーナは自分の奸計が成功して、ルーナ伯爵に、「あれはお前の実弟、お母さん、復讐を果たしました」と叫んで幕となります。このオペラははっきり言って、後味が悪いものですが、いろんな名場面があるので、ぼくは見たことがありませんが歌舞伎に似ているとよく言われます」
「そうか、ほんなら、居瑠、斗露婆徒兎礼とかいう題で舞台化したらおもしろいかもしれんなあ」
「そうですね、興味がありますね。でも、「トロヴァトーレ」の中の恋愛について言えば、マンリーコが母親の警護や伯爵との対決で忙しすぎてレオノーラをかまってやれず、レオノーラは可哀そうに努力が報われずに亡くなってしまうという感じです」
「よし、それでええよ。そしたら次は、「トスカ」やで。またおもろい時間を共有しよ」
石井が、〇ッポロ一番塩ラーメンの5食パックを差し出すと妖精のおじさんは、おおきにと言ってそれを受け取って山科駅で下車した。