プチ小説「東海道線の妖精 24」
石井はしばらく車窓の外を眺めていたが、なぜ外の風景は流れていくのに自分の周りの人の動きが止まっているのだろうと考えた。
「ほんでー、あんたが西洋文学好きちゅーのはようわかったけど、好きな翻訳家はおるんかな」
「そうですね、基本的には、あほなぼくでもわかるような翻訳をしてもらえるのがいいです」
「と言うとどんな翻訳なんかな」
「大和言葉でわかりやすくというのが大事ですが、それよりももっと大切なのは通して読んでみて筋が通っているということです。つまり作品の全体像がわかっていて、それを日本語の丁寧な言葉で紹介してくれるというものですね。いくらわかりやすい言葉を使っていても、作品自体の本質、作者が言いたいことを摑めていなくて、読者を迷いの森に連れ込むような翻訳は駄目だと思います。多少ごつごつしていても、その作品を理解して楽しませてくれているとわかれば、その翻訳を読んでいる間は充実した時間となります」
「石井君が好きな翻訳家は、誰なん」
「フランス文学ではやはり鈴木力衛氏と佐藤朔氏ですが、イギリス文学では中野好夫氏と小池滋氏になります。この先生方のおかげでぼくの人生は楽しくなったのです。電車に乗り込み、文庫本を取り出して活字に集中する。そうすると眼前に情景が浮かんできてそこでいろいろなシチュエーションで登場人物が会話を始める。これが毎日楽しめるのですから、読書と言う習慣が身に着いたということに感謝しないといけないですね。漱石を読み直したら、眼前に情景が浮かんで、生き生きとした登場人物が現れるのかもしれませんが、もう10年くらいは翻訳ものを楽しみたいですね」
「そんなふうにして文学を楽しんで来たんやったら、恋愛についてもいろいろ学んで来たんとちゃう」
「どうなのかな。例えばさっきの4人の作家で言うと、鈴木氏は『ダルタニャン物語』と「モリエール全集」、佐藤氏は『モンテクリスト伯』、中野氏は『自負と偏見』『人間の絆』『デイヴィット・コパフィールド』、小池氏は『リトル・ドリット』『バーナビー・ラッジ』を楽しんで読みましたが、『自負と偏見』だけが恋愛小説というカテゴリーに入るのだと思います。そんなわけでぼくはどちらかというと冒険小説や教養小説を好んで読んで来たと言えると思います」
「そしたら次回までに『自負と偏見』を思い出しといてというのはええのかな」
「ぼくは遅読ですから、3週間で通して読んどいてと言われると辛いのですが、最近はインターネットで調べることもできますし、調べておきます」
妖精のおじさんはひとつ咳払いをすると、ちょっと訊きにくいことを聴いてもええかと石井に尋ねた。
「あんたは松子さん一筋だったんか」
「それは違うと思います。環境が変わる度に周りにいる女性も変わりますから。松子さんは高校生になって2、3回挨拶を交わしたくらいです。先生が引き合わせて下さったから、今、身近な存在になっていると考えていますが、それは夢の中の話ですから、以前と変わっていないのかもしれません。先生は実践までのデスクワークと実技を指導してくださるのだと思いますが、先生とお会いして半年以上過ぎているのに現在の彼女と会っていないので、このままデスクワークばかりだと、今までのようにただある女性に好感を持ったけれど報われなかったで終わるような気がします」
「あんたの気持ちはようわかるけど、実践はもうちょっと待ってほしいんや」
「それじゃあ、少しだけ期待して待つことにします。『リトル・ドリット』のようにハッピー・エンドとなるように」
「そら、あんたがどれだけまじめに取り組むかや。わしは応援するけど、最後はあんたの決断力やな」
「そうか、決断するわけですね」