プチ小説「東海道線の妖精 28」

石井が車窓から外を眺めると、新快速は近江八幡を過ぎたところだった。石井はいつも疑問に思っていることを率直に尋ねてみた。
「いつも思うんですが、こうしてぼくは先生と話をしていますが、車内の他の人は静止しています。それなのに車窓からの景色は動いています。そうして電車が動いているのに駅には止まりません。これはどういうからくりなんでしょう」
「そらあんた、すべてがつじつまが合うようになっとる」
「つじつまですか」
「そう例えば、周りの人が動いたりおしゃべりしたら、わしの講義に差し支えるやろ。車窓の景色が変わらんかったらあんたは2時間も経ってもわからへんやろ。ほんでー駅に止まらんのは...まあ、あんたの脳に錯覚を起こさせていると説明した方がわかりやすいかもしれん」
「それじゃあ、先生との会話はすべて錯覚で、意味がないものなんですか」
「意味があるようになるかどうかは、あんたの心掛け次第やわしとの関係を大切にしたいと思うたら、いつまでも続くし、やがては松子さんとの恋愛も成就できるかもしれん。そやけど、あんたが気い緩めたり、わしとの時間を大切にせんかったら、それでお終いや。あんたの記憶からわしの占めていたところが消失する」
「そうなんですか、大切にします。これからもよろしくお願いいたします」
「そしたら、『トム・ジョウンズ』やけど、概観してこの小説を評価してみてちょうだい」
「『トム・ジョウンズ』の作者フィールディングは家柄がよく、学もあり、若い頃は風刺劇を書いていましたが、取り締まりが厳しくなったため弁護士になり、小説を書き、新聞の編集長にもなりました。40才になると判事になり、治安判事の地位に着いたので近代的な警察組織の結成をしたりしました。そんな公務の合間を縫って47才の頃に書かれた彼の代表作がこの小説です。要は文章を書くのに長けた人が円熟の頃に書いた小説で、ディケンズで言えば、『大いなる遺産』にあたる小説だと思います。ぼくはこの小説の主人公が明るくて、いろんな障害にへこむことなく突き進んでいく姿に惹かれます。いろいろ問題を起こして窮地に陥り、恋人ソファイアの信用を失ったりしますが、自分が正しいと思ったことをぶれることなくやり通します。そこに爽快感とか達成感が生まれるのですが、そんな背景も何もないちっぽけな人間が頑張っているのを見るとたとえ小説の中でのことでもぼくは励まされます」
「そういうめげずに正しいと思ったことをやり通すトムの姿に当時の読者がよい印象を持ったんやろけど、これとよく似た話、石井君知っとるか」
「ディケンズの『骨董屋』のネルの祖父が博打狂いで、骨董屋を廃業して旅に出ることになります。祖父は旅に出ても相変わらず博打を止められず、ネルの虎の子まで奪ってしまい、窮乏の極地といった状況になります。それでもいろいろ救いの手が差し伸べられて何とかふたりは生き延びますが、ネルが病気になると読者はとても気の毒になり、文豪のところに、ネルを死なせないでという手紙が届くようになります。まるでネルが生きている人間であるかのように」
「そう、まるで小説家が想像した登場人物が、あたかも命を持っていて、読者がその人物を死なせないでと嘆願の手紙を送ってくる。それだけリアリティがあって、困難な状況に追い込まれているということが、読者に痛いほどようわかって、想像上の人物なのに強い同情を寄せる。まあそこまで読者に思わせることができたら、小説家冥利に尽きるやろな」
「今回は、先生が仰られた通りに『トム・ジョウンズ』を調べましたが、もう少し遡って、『ロビンソン・クルーソー』『ガリヴァー旅行記』『トリストラム・シャンディ』なんかも調べましょうか。『アイヴァンホー』もぼくは面白いと思います。それとももっと現代寄りの意識の流れとか...」
「わしは何も石井君に文学史の総論を述べよと言っとるんとちゃうんやで、その小説から何を読み取るか、参考にするかや。まあ、『トム・ジョウンズ』からは、正しいと思ったことをやり通すのが、恋愛では大切なことということでこの講義は終わることにして次に行くけど、次はしっかり小説のエッセンスを掬い取ってほしいな」
「わかりました。で、次は何でしょうか」
「モームの『人間の絆』なんかはどうかな」
新快速が京都駅のホームに滑り込んだので、石井は山廃仕込みの日本酒一合瓶を渡した。先生は、おおきにと言って群衆の中に消えた。