プチ小説「東海道線の妖精 32」
石井は暗い夜空のある土地で空に横たわる銀河を見たいという願望を持ち続けていたので、時間がある時にいくつかの民間の観測施設を調べていた。ずっと以前に行こうと思ったことがある、鳥取県の佐治天文台は、今は近くまで行ってくれる交通機関がなくなり、アクセスが非常に不便なってしまったので、断念せざるを得なかった。最近は奈良の五条からバスで行く、ほしの国の予約を何度か取ったが、仕事が忙しくなりキャンセルしている。今日の朝刊で、岡山県の美星町の天文台のことが書かれてあったので、インターネットで調べてみた。
<この北摂地区からJR線乗り継いで最寄りの矢掛駅まで行けるから、ほしの国に行くより、便利なのかもしれない。町全体で光害防止のために取り組んでいるみたいだし、山陽新幹線を利用すると3時間ぐらいで矢掛駅まで行けるようだから、今度の休みにアクセスや施設の利用方法について問い合わせてみよう>
そんなふうに石井が下調べをするのは、松子とのデートのためであった。
<松子さんがどんな女性かわからないけれど、天文や西洋音楽や西洋文学に興味を持っている人であればいいな。そしたら趣味のことで会話が弾むだろう。そういったものに全然興味がない人だったら、何を話せばいいんだろう>
石井はネットの画面を見ながら思った。
<仮に京都に行ったとして、精進料理なんかを食べながら、どんなことを話せばいいんんだろう。友人同士のように近況や友人のことを話していれば楽しいのかもしれないけれど、ぼくとしては一緒に天文台で星を見たり、クラシック音楽のコンサートに出掛けたり、『大いなる遺産』についてあれこれ話したりできたら有意義な時間になると思うんだけれど、松子さんはそんなぼくをどう思うかしら。美星町に一緒に行って、終電で帰るなんてことを計画できるんだろうか。オペラ公演のチケットを購入して一緒に観ようと言ったらついて来てくれるのかしら。文学の話はその本のことを知っていないとできないけれど、ディケンズの本をどのくらい読んでいるのかしら>
その夜、石井は4つの夢を見た。最初の夢は、満天の星空を見ている夢だった。暗い夜空にたくさんの星があるのがわかったが、銀河が横たわるというのではなく、空のあちこちに星の集団があるというものだった。大きさはほぼ同じでその中の星も特に輝いている星はなかった。
「うーん、これだと物足りないなあ。横たわる銀河の中に星座を形成する光度の高い星がいくつかあって、星の色も赤、橙、緑、青、黄で宝石のように輝いてくれないと...それはないものねだりなのかな。満天の夜空の美しさはこの程度なのかな」
石井は一旦目を覚ましたが、しばらくするとまた別の夢を見た。
「さっきはいきなり夜空だったけど、こんどはお昼だな。おや、何かが遠くからやってくるぞ。あれは、外国の爆撃機だ。あっという間に2機、3機とやってきて、空を被いつくしている。どこかに隠れなければやられてしまう。そうだそこの土手の影ならみつかりにくいかもしれない。これでよし」
石井はまた目が覚めたが、トイレから戻るとまたすぐに寝入った。
「おや、土手の向こうにバス停があるぞ。こんな田舎のバス停なのに行列が続いている。100人ほどいるかな。最後尾に並んでみて気が付いたけど、全然バスも車も通らない。みんな何を待っているのだろう。そこの少女に訊いてみるか。『ねえねえ、このバスはどこにいくの』えっ、この娘、松子さんにそっくりだな。『わからないわ、お母さん、どこいくの』うっ、お母さんも、松子さん。『あなた、ぎりぎり間に合ったわね。これから三人でいいところへ行きましょう』そうか、いいところなら三人で...えーっ三人なの、どうして」
最後の夢はそれからすぐに見られた。
「さっきの少女がいるぞ。何だろう、ほっぺたを指さして唇をとがらせているぞ。キスをしてほしいということかな。いやいや、赤の他人にそんなことをしては捕まってしまう。でも今度はいやいやをして飛び跳ねているぞ。投げキッスで、誤魔化すことにしよう。ちゅっ。おお、あなたは、山口先生」
妖精のおじさんはニッコリ笑って霧の中に消えたが、目が覚めた石井は改めて師の偉大さに敬服した。