プチ小説「こんにちは、N先生 23」

私は、昨年3月に『こんにちは、ディケンズ先生』第3巻、第4巻を出版したのですが、コロナ禍で思うように活動ができていません。一番の痛手は、コロナ禍で大学図書館の受け入れがストップしてしまったことで(生徒さんや先生方の対応で精一杯のため、寄贈図書の対応が難しいのだと思います)、50の大学図書館に贈呈させていただいたのに、受け入れがあったのは、京都大学と茨城大学だけです(阪南大学は先生か生徒が蔵書の申請をされたようです)。『こんにちは、ディケンズ先生』は、2011年10月に第1巻、2015年9月に第2巻を近代文藝社から出版し、この2冊は、同社からたくさんの大学図書館に代行発送をしてもらったおかげで、100以上の大学図書館に受け入れてもらっています。また多くの公立図書館に受け入れをしていただけるよう自分の足で全国を回ったので、200余りの公立図書館に受け入れてもらっています。近代文藝社が第3巻、第4巻の出版が難しいと聞いて紹介をお願いしたところ、紹介してもらったところが幻冬舎の自費出版部門の幻冬舎ルネッサンス新社でした。同社からは、『こんにちは、ディケンズ先生』の第1巻改訂版を2018年11月に、第2巻改訂版を2019年11月にまず出版してもらいました。その折りは代行発送は依頼しなかったのですが、第3巻と第4巻が出版してもらった折には担当者の方に50の大学図書館に代行発送していただくようにと依頼しました。それまでは東北大学図書館の担当者の方から、蔵書受け入れ依頼を書くようにと依頼があり、東北大学図書館に受け入れられると徐々に他の大学図書館でも受け入れられていったのでしたが、第3巻と第4巻は今のところ京都大学と茨城大学だけに受け入れしていただいていて、母校立命館大学図書館にも今のところ受け入れられていません。公立図書館も地元高槻市、大阪市、京都市、瀬戸市(茨城県土浦市、長野県松本市、小諸市、愛知県春日井市、福岡県北九州市は市民のどなたかが蔵書申請されたようです)は受け入れられましたが、名古屋市は持参しましたが受け入れされませんでした。そのため関東のさいたま市、千葉市、新宿区、渋谷区などの図書館への受け入れをお願いするかどうか迷っています。そんなことしかできない私は毎日気分が晴れないでいるのですが、久しぶりに京都に出掛けて物思いに耽るため、阪急京都河原町駅を下車して、賀茂川べりを散策することにしました。その前に腹ごしらえをしようと眠眠でジンギスカン丼とエンザーキー(鶏のから揚げ)二分の一を頼んでできるのを待っていると、奥の方のトイレの前の席で誰かが手を振っていました。私は目を凝らしましたが、手前の人の影で誰だか分らなかったので、鞄を持って席を立ちました。近くまで来るとN先生であることがわかりましたが、食事が終わったら外で待っているようにと言われました。先生の前にはジンギスカン丼以外にもいくつか料理が並べられてあったので、私は自分の方が先に店を出るだろうと思いました。先に店を出て、暫く待っていると先生は店から出て来られました。
「やあ、久しぶりだね。君が久しぶりに、ディケンズの『バーナビー・ラッジ』と『リトル・ドリット』を読んで、ディケンズ・フェロウシップの新着情報に載せってもらった時に、会おうと思ったのだが、果たせないでいた。それで『マーティン・チャズルウィット』を読み終えて、感想文をディケンズ・フェロウシップの新着情報に載せてもらったら、声を掛けようと思っていたのだが、君は最後まで読まなかったようだね」
いつものようになぜN先生にそのようなことがわかるのか不思議でしたが、わたしは応えました。
「そうです、やっぱり、『マーティン・チャズルウィット』は面白くなかったですね。それに北川悌二氏の翻訳も物語を把握して訳しているように思えませんし、高校生が翻訳したようです」
「そんな酷いことを言ってはいけないよ」
「そうでしょうか。ぼくはディケンズから希望、勇気、知恵など素晴らしいものを与えてもらったのですが、この本だけは、微塵もそのようなものがありません。北川氏の翻訳もたどたどしくてしばしばわけがわからなくなり、自分の読解力がなくなったのかなと自信喪失したりします。ディケンズが創造した登場人物も魅力に欠けます。ペックスニフ家は言うに及ばず、チャズルウィット家も魅力に乏しい人ばかりです。他にトム・ピンチやマーク・タップリーという際立つ人物が出てきますが、どちらも途中まで若マーティンのために頑張るのですが、中途半端に終わってしまいます。若マーティンに魅力がないからです。最初の時は我慢して最後まで読みましたが、今回は第1巻を300ページほど読み、余りにも面白くないので、自分の感想文をもう一度読み直してみました。そこに書いていることがその時に思っていたことが合致していたので、あと1500ページ読んで無駄な時間を過ごすより他の本を読んだ方がよいと判断しました。一人でも魅力的な人物がいたら最後まで読んだと思いますが...」
「まあ、人それぞれ、好き嫌い、得手不得手はあるだろうから、君が言うことを否定しないよ。今は何を読んでいるんだい」
「ディケンズ・フェロウシップでは、京都大学のS先生と早稲田大学のU先生にお世話になっているのですが、コロナ禍でなかなかお会い出来ていません。10月2日にオンラインで秋季総会が開催された際に久しぶりに参加したのですが、その時にU先生が公演をされ、マーク・トゥエインの翻訳などもされている、大正から昭和初めに活躍した佐々木邦の小説がユーモア小説で興味があるという話をされたのです。すぐに調べたのですが、ばらではほとんど手に入らず、昭和46年に出版された全集が手に入りやすかったので、1万円余りでハードカヴァーの全15巻を購入したのです」
「そうか、思い切ったことをしたものだね。それを全部読むつもりなのかな」
「どうしても読みたい本が出たら、中断しますがそれがなければ読み続けると思います。『失われた時を求めて』や「ギリシア悲劇全集」を読んだ時と同じように」
「それほど面白いものなのかな」
「ぼくは井上ひさしさんをお手本に小説を書いていますが、佐々木邦さんも似たところがあります。まだ『いたずら小僧日記』と『珍太郎日記』しか読んでいませんが、ちょっと変わった性格の少年が家族やその友人などに自分勝手な思い込みをして、大騒動を起こすというもので、きっとそういうパターンが多いのだと思うのですが、吹き出すところもあって読書を楽しんでいます」
「そうか、それではこれからしばらくはディケンズとお別れなのかな」
「そうですね。でもディケンズの小説の新訳が出たら、きっとすぐに読むと思います」
「ああ、もう今出川に着いた。今から柳月堂に行こうと思うんだけど、このリュートのCD聴いたことがあるかな」
「おお、これはホプキンソン・スミスがバッハのチェロ、ヴァイオリン独奏曲を編曲したアルバムじゃないですか。ヴァイオリンのパルティータは素晴らしいですよ」
「ぼくもそう思うから、バッハのヴァイオリン・パルティータの第1番、第2番、第3番のリュート編曲を柳月堂の装置で聴かせてもらおうか」
「是非ご一緒させてください」