プチ小説「たこちゃんの夢」
ドリーム スエーニョ トラウムというのは夢のことだけど、ぼくは小さい頃はこれという夢は持っていなかった。高校生になってからは何とか大学に入って、安定した職業についてそれからいろんなことに興味を持って、読書、旅行、趣味などにのめり込んで行きたいと思っていた。40才半ばまでは仕事でそれどころではなかったが、40才半ばでいろんな意味で時間を自由に使えるようになり、まず始めたのがホームページだった。最初はMacでホームページを作成していたので、ソフトはアドビのドリームウィーヴァ―(DW)だった。10年ほどしてDWがなくなり、ウインドウズのソフト、ホームページビルダーを使わざるを得なくなり、どうしようかと思っていたところ、同僚から、htmlファイルはそのまま使えるのでトップページだけを作りかえればよいと教えてもらい事なきを得た。その後もウインドウズ10対応のホームページビルダー21などの切り替えなどに苦労したが、何とか今でも小説や写真やクラリネット演奏などをホームページに掲載して楽しんでいる。その次に挑戦したのが、山登りだった。思い立ったのが、今から27、8年前の30代半ばの頃だったが、深酒で体調を壊し、自然と触れるのが一番いいのではと近くの山に登り始めたのだった。ガイドブックを頼りに近畿のいくつかの名山に登ったが、ある時葛城山に登った時にコーヒーをご馳走してもらった人から一緒にトレッキングをしませんかと言われた。その方が所属している山岳会は労働組合の山岳会で40代の男女が多数所属されていて、たくさんの人数でハイキングや登山のコースを歩くとのことだった。そしてこの山岳会はみなが楽しく最後まで歩けるように時間を掛けて無理のない山歩きをするということだった。急に仕事が忙しくなり、その方と連絡をしなくなったが、それから4年して登山を再開した時に考えたのは、自分で登山の計画を立てて、時間を有効に利用しないと遠方の山での登山はできないということだった。ぼくの会社では長くて4日しか連続して休みが取られないため、仮に槍・穂高縦走をするとしたら、槍沢ロッジ、南岳小屋、穂高岳山荘に宿泊して効率的に歩かないと4日目の午後6時までに上高地まで戻ってくることが出来ない。戻って来られないとなると、タクシーを利用しても午後7時過ぎの特急しなのに乗ることが出来ないので休みを延ばさざるを得なくなる。そんなこともあって一人での登山(槍・穂高には7回、八ヶ岳には2回、富士山には1回行った)を50才過ぎるまで続けたが、今度は本の出版をしてみたいと思うようになり、トレーニングをして臨まないと遭難などの取り返しのつかないことも起こりうると思い、槍・穂高縦走は諦めたのだった。もともとぼくは本を読むことが好きで学生の頃からイギリス文学の愛好家となり何冊もの本を読んだが、行きついたのがディケンズの小説だった。そしてそれが嵩じて、主人公の夢の中に文豪ディケンズが登場して、自分の小説について語ったり、主人公の相談に乗ったりするという、『こんにちは、ディケンズ先生』という小説を4冊書き上げた。クラシック音楽も学生時代からの趣味でいろんな刺激を与えてくれるので、いくら感謝しても足りないくらいだから、少なくとも1冊くらいはクラシック音楽を啓蒙するような本を出版できたらと願っている。そんな風にぼくの場合、趣味が際限なく膨らんで行って、夢に結びついたりしている。山登りの夢としては今のところ槍・穂高縦走だが、10年以上槍にも行かないばかりかトレーニングで登る比良山にも行っていない現状では再開は難しい状況だ。山登りをしなくなったのは、出版のためなのでせめて出版の夢は叶えたいと思っているが、『こんにちは、ディケンズ先生』が全く売れず、出版の資金も底をついている現状では、7冊目(1、2、1改訂版、2改訂版、3、4に続いて)の出版をするのは難しいだろう。ぼくの夢はそんなところなんだけど、駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は、例えばロケットで火星に行きたいとか、ギャンブル以外の大きな夢を持っているのだろうか、そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス ラメント ノ テネール テイエムポ」「そうですよね、ぼくも今62才ですから、あと活動できる年数は限られています」「そうやろ。それであんた今からしたいことって何があるのん」「槍・穂高登山は10年していませんが、できることなら、65才を過ぎて仕事をやめたら、トレーニングから始めて縦走に再挑戦したいと思っています」「体力的に無理やと思うけどなぁ。他にはどんなんがあるの」「本の出版はお金がないと出来ませんが、70才までに『こんにちは、ディケンズ先生』第5巻とクラシック音楽に関する本など2、3冊出版できたらと思っています」「音楽活動はどうなん」「私は医療関係の仕事をしているので、三密の回避が難しい、クラリネットのレッスンは現状では受けられませんが、解除されたらまたレッスンを初めて発表会にも出たいと思っています。LPレコードコンサートも同じ理由で昨年3月から開催されていませんが、解除になれば再開したいと考えています。まだ71回しか開催していないので、70才過ぎても頑張って100回開催できるまで頑張りたいと思っています」「他にもあるやろ」「そうです、ぼくは天文ファンでもあるので、満天の星、銀河の写真を撮影するために、ガイド撮影のための機材ケンコースカイメモを昨年購入しました。三脚を合わせると20キロくらいの重さなのでペーパードライバーのぼくがどのようにして機材を運ぶかなど課題が山積していますが(一度も使ったことがなく曲軸合わせには熟練の技が必要のようです)、夏の夜空に横たわる銀河のガイド撮影を何とかしたいと考えています。でも、コロナ禍がなくならないと、さあ、頑張ろうという気にはなりません」「そんなこと言わんと、すぐに臨戦態勢に入れるように、今からうさぎ跳びとリアカーごっこだけはしておいた方がええよ」「それもそうですね。いつもありがとうございます」そう言って、ぼくは鼻田さんの後ろについて、鼻田さんの車の周りをうさぎ跳びでぐるぐる回ったのだった。