プチ小説「青春の光 96」

「は、橋本さん、どうかされたのですか」
「田中君、残念だが、船場君はプチ小説を1000書いたら、尻を割ると言っていたよ」
「と言うと船場さんは秘密や悪事を隠していたということですか」
「そうか、ケツを割るというのは、暴露する、悪事がばれるという意味があるが、わしが言うのは、もっとやわらかーな表現のことで、途中で仕事を放り出すという意味なんだ」
「多分、暴露したから、投げ出すという繋がりがあるのでしょうが、そこのところはよくわかりませんね。でも船場さんは本当に尻を割りたくなったんでしょうか」
「せっかく昨年の3月に『こんにちは、ディケンズ先生』第3巻と第4巻を発刊したというのに、コロナ禍でいろいろな支障が出ている。一番痛いのは、コロナ禍で対応できないためか、第1巻と第2巻のように大学図書館に受け入れてもらっていないということなんだ。大学では生徒や先生のために手一杯なんだが、何とか船場君の図書の受け入れをしてもらえないものかと思っている」
「でも、3、4巻が1、2巻として面白くないということもあるでしょう」
「そういうこともあるが、京都大学と茨城大学以外の48の大学が受け入れていないというのを考えると、やはりまだ読んでもらっていないと考えるのが妥当だろう。早く大学で平常業務が出来るようになって、船場君の本を読んでもらえるようになってほしいものだ。大学図書館の多くが受け入れしてくれるようになると船場君は、全国の公立図書館に足を運んで受け入れをお願いすることだろう」
「他にもありますか」
「今まで楽しみにしていた、クラリネットのレッスン、LPレコードコンサートの開催ができなくなったことだ。クラリネットは2ヶ月に一度スタジオに足を運んで、ぷうぷうやっているようだが、LPレコードコンサートの方はコロナ禍が始まってからは東京にも行っていないくらいだ。2ヶ月に一度東京に行って、LPレコードコンサートに来場された人と話したり、名曲喫茶ライオンでレコードを掛けてもらったり、新宿のディスクユニオンでクラシックのレコード漁りを3ヶ月に一度するのが何よりの楽しみだったのに、1年半以上途絶えている」
「でも、それだけで楽しみの一つの小説を書くことをやめるというのでしょうか」
「えっ、田中君何と言った。もう一遍言ってくれないか」
「何も今の状況が最悪だからと言って、書く楽しみをやめないでもと...」
「誰が小説を書くのをやめると言った」
「では、口を糊するためのお仕事をやめるということですか」
「いや、今のところは本の印税で生活をするわけにはいかないから、仕事は続けないといけないだろう」
「それでは、山登りやクラリネットですか」
「それは船場君の夢だから、投げ出すことはないだろう」
「それじゃあ、何でしょうか」
「まあ、船場君特有の広義に捉えるというやり方で、時間を有効に使うために無駄なことに対して、ケツ別すると言っていたよ」
「へえ、どんなものとケツ別するのでしょうか」
「例えば、日本語の歌詞が付いた、フォークソングや歌謡曲は作業のBGMにならないし、作業を止めてしまうから極力我慢するとか。でもたまには聴きたくなるからそれは許すとか」
「うーん、ちょっと甘い気がしますが」
「船場君は消化管が不調なのを食べ物や飲み物のせいによくするが、腸の調子が悪いのはコーヒーのせいにして、なるべく牛蒡茶を飲むとか」
「牛蒡茶ですか、ドクダミ茶とかビワ茶の方が効きそうですが」
「それから最近ipodを聴きながら歩いていて、車と接触しかけたので、歩いている時のipodとはケツ別すると言っていた」
「でも、決別というのはもっと絶対にしないとかの強い意味だと思うのですが」
「まあ船場君はいろいろ自己解釈するのが好きだから、自分で決めてさよならするんだからいいんじゃないのと言うのだろう」
「そうするメリットがあるのでしょうか」
「まあちょっと小説を書くのが捗るかもしれないし、少し腸の調子がよくなるかもしれないし、交通事故に遭う可能性が少なくなるかもしれないね」
「そうですか、ケツ別なんて言うから心配しましたよ」
「まあ、船場君には2000までと言わず、10000くらいはプチ小説を書いてもらいたいものだ」
「今のペースで行くとどのくらいかかりますか」
「1000まで書くのに12年ほどだから、あと108年くらいだな」
「......」