たろうの桃源郷      

たろうが毛利と待ち合せたのは、金沢駅の改札口を出たところにある幅2メートル程ある柱の前だった。たろうが改札口を出てあたりを見回していると、毛利が声を掛けた。
「よく来たね。わざわざ来てくれたのだから、楽しんでもらえるといいな。おとうさんとおかあさんは元気にされているのかな」

毛利は以前、たろうの家の上の階(たろうの家が2階で毛利の家は3階だった)に住んでおり、たろうは毛利の家をよく訪問してSPレコードを聴かせてもらっていた。毛利はポータブル型の蓄音器を持っており、たろうは、毛利がいにしえの名演を聴かせてくれるのを楽しみにしていた。毛利の両親が体調を崩して、家業の印刷屋の手伝いをしなければならなくなり、毛利は実家に帰ったが、毛利はその際にたろうにじぶんが持っていたSPレコードと蓄音器をプレゼントしたのだった。その後たろうは針交換の手間と経済性から、毛利の勧めもあり再生装置をLPレコードも観賞できる電蓄に変えたが、今なおSPレコードを聴いていた。
たろうは中学2年生。今でもクラシック音楽が好きだったが、周りの友人たちの話題に登るのは今流行っている音楽であり、クラシックを聴くのは極々少数派であった。また音楽自体、たろうたちにとっては大きな領域を占めるものではなかった。遊びたいし、映画も見たい。だけど勉強もしないといけない。そういったたろうに多くの情報を提供してくれるのがラジオであった。クラシック音楽の番組で紹介されて、じぶんが気に入った曲をカセットテープに録音し何度も聴いていた。しかしFM放送のクラシックの番組が最近めっきり少なくなったことは、たろうを意気消沈させていた。
「クラシック音楽はすばらしいものなのに」と、たろうは最近よく独り言を言うようになった。

たろうが金沢に住む毛利を訪ねたのは、毛利から金沢に金沢蓄音器館というミュージアムがあるので行かないかと誘われたためだった。たろうは毛利が金沢に戻ってから、年賀状と暑中見舞いは出していたが、今年の年賀状にそのことの記載があり、興味を持ったたろうは毛利に連絡を取ったのだった。毛利から2月の後半なら時間が取れるだろうと連絡があった。たろうは昼前の雷鳥号で金沢に到着した。

たろうはうれしそうに、
「両親は元気にしています。今日はお世話になります」
と言ってぺこりとお辞儀をした。
毛利は、
「SPレコードを聴いてくれている。大切にしまっておいても仕方がないからね。いいのが手に入ったから、後で見せてあげよう」
そう言って、持っていた紙袋を指差した。
「お腹がすいているだろう。昼食にしようか」
ふたりは駅前のバス停からバスに乗り、武蔵ヶ辻へと向かった。

近江町市場の中にある食堂に入り注文を終えると、毛利はにっこり笑ってたろうに話し掛けた。毛利は、両親は元気になったが、家業は厳しい状況にある。今印刷業界はコンピュータ化が進み一般の人も手軽に印刷できるようになったので、家業を続けるにはじぶんが中心になってコンピュータの勉強をする。そうして、顧客を獲得しその要望に応えなければならないだろうと話した。
「ところでたろうくんはもうすぐ中学3年生だね。将来はどうするの」
毛利が不意に質問したので、たろうはとまどった。
「将来は...、クラシック音楽に関する仕事かなあ」
「ははは。やはりそう言うと思ったよ。でもクラシック音楽は、今むずかしい時期に差し掛かっている」
たろうは金沢に遊びに来たのに、むずかしい話を始めた毛利に抗議するためにひたすら寿司を頬張った。
「でもたろうくんが頑張れば、道は開けるかもしれない」
たろうは、毛利の言葉に半信半疑の様子で口を動かさずに寿司を頬張ったままで毛利を見つめた。
「芸術が普及するのは、芯になる人物の存在が必要だ。クラシック音楽の歴史を見ても、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、ブラームスなどの偉大な作曲家の存在があり、20世紀のはじめからレコードというかたちで偉大な演奏家がその作品の名演奏を残して来た。演奏家の存在はもちろん重要だけれど、音をなるべく手軽に聴きやすい自然な音で聴衆に提供しようという人たちの熱意が、録音技術が発展させて来た。これはぼく個人の感想だが、CDの音は明らかにSPレコード、LPレコードの音とは異質のものだ。SP、LPの音に馴染んだ人にとってはCDの音は異質で馴染めない。CDの音しか知らない人はSP、LPの音に馴染めないし、その上SP、LPを聴くためには装置を購入しなければならない。こういった問題を解消すれば、クラシック音楽を愛する人が増えて来ると思うんだ」
たろうは尋ねた。
「ぼくは、何をすればいいの」
「うーん、そこまでは考えてなかった。これから一緒に考えようか」
微笑みながらそう言うと、毛利は勘定を済ませた。

ふたりが金沢蓄音器館の中に入りしばらく進むと受付があり、そこにいた女性がふたりに話し掛けた。
「高校生以下は無料ですので、300円いただきます。午後2時から蓄音器の実演がありますのでよろしかったらお聞き下さい」
毛利が、こちらはSPレコードや蓄音器の販売をしていないのかと尋ねると、その女性は答えた。
「以前金沢にSPレコードや蓄音器を扱う専門店があり、いくつか店鋪がありましたが今ではその店でSPレコードや蓄音器は扱っていません。わたしたちはその会社から、SPレコードや蓄音器を譲り受けて展示しているのです。もちろん展示するだけでなく、できるだけそのすばらしい音を実際に聴いていただきたいと思っています。よろしかったら、2階にご案内しましょう」
その女性は、2階の実演用蓄音器がずらりと並ぶコーナーの横にある、棚にSPレコードのセットものの貴重盤が並べられているところにふたりを案内した。
「ここにあるSPレコードはかなり古いものですが、装丁がきちんとできているのでこうして展示しています。ここには寄贈されたSPレコードがかなりあります。ただ偏りがあって、当時爆発的に売れたワインガルトナーのベートーヴェンの第9交響曲やいろんな指揮者が指揮している未完成交響曲が多くを占めています。未完成交響曲は当時の日本人が西洋音楽の交響曲というものに憧れ、その中でも一番手軽にすばらしい音楽が聴けるということで未完成交響曲を聴いたのだと思います。第九ならSPレコード8枚になりますが、未完成交響曲なら3枚で重厚な管弦楽の調べが全曲聴けますから。蓄音器を少しお聞きになりますか」
そう言うとその女性は実演用蓄音器の一つに歩み寄り、SPレコードを掛けた。中型の蓄音器から奏でられるヴァイオリンの音色は携帯用蓄音器の音に比べ、迫力があり、しかもやさしい音色だった。
「もうすぐしたら、実演が始まるのでわたしはこのへんで」
その女性はそう話して、受付へと戻って行った。

実演は、ほとんどがクラシック以外のジャンルの音楽だったため、たろうは少し不満だった。ふたりが毛利の持参したレコードを見ながら話していると、先程の女性がやって来て話した。
「実演はどうでした。この施設はいろんな人からの善意で成り立っているの。さっき見てもらったように多くのSPレコードの寄贈を受けたり、クラシック愛好家の人からの支援を受けたりして。支援してくれる人の中には、寄贈ではなく貸し出しならできると、貴重なSPレコードをレコードコンサートのために貸して下さる方もいるわ。わたしたちがするべきことは、なるべく多くの方に少しでも多くのすばらしい演奏を聴いてもらうことなの。SPレコードで記録された音楽のすばらしさに触れ、少しでも多くの人が感動して、心が豊かになれば。あら、ごじぶんでSPレコードをお持ちになっているのね。せっかく持って来られたのだから、少し掛けてみましょうか。ジンバリストの愛の挨拶とクライスラーのブラームスのワルツね。どちらも素敵な曲ね」
毛利は自分が誉められたように赤くなった。

たろうと毛利がそのミュージアムを後にしたのは午後5時を少し回ってからだった。
「ごめん。実を言うと、さっき寄贈したレコードはたろうくんにあげるためのものだったんだ。でも親切な人だった。中型機だけでなく、クレデンザでも掛けてくれた。針もヴァイオリンの曲だからと竹針で掛けてくれた」
たろうは高級機の素晴しい音に魅了されていたので、寄贈されたレコードを惜しんだりはしなかった。むしろ毛利がたろうにLPレコードをやろうと言った時に目を輝かせた。たろうは毛利の勧めで電蓄を購入したが、クラシックのLPレコードを購入したことがなかった。
「さっき聴いたSPレコードの他にLPレコードも持って来ているんだ。電車の出るのは午後7時すぎだったね。少し時間があるから珈琲でも飲もうか」

「ぼくは元はと言えば、LPレコードの愛好家だった。でもどうしても古い演奏を少しでもいい音で聴こうと思うと、SPレコードと蓄音器が必要になった。
ちょうどぼくがたろうくんと知り合った頃に、SPレコードを聴き始めたんだ。
今日聴いてもらった2曲はまず、LPレコードでは聴けない。でも、こういった交響曲はやはり、LPレコードでないと...。何度も曲が途中で中断され、一貫した音の流れがないから、感動が途切れてしまう。シングル盤を聴く感覚で小品をSPレコードで聴くのは大賛成だが、交響曲などをSPレコードで聴くのはやはり抵抗がある」
毛利はそう言うと一枚のレコードを取り出した。
「ブラームスの交響曲第1番という曲のレコードだ。ぼくがこの曲を知ったのはたろうくんの年齢よりずっと後だ。実は、ぼくがクラシック音楽に興味を持ち始めたのは、浪人してからなんだ。何の苦労もなく高校時代を終え、神の恩恵で何の苦労もなく大学に行けると確信していたぼくは、浪人しなければならないということを受け入れざるを得なくなった時、途方に暮れた。3日間布団を被って寝ていたが、4日目の朝、FMラジオのスイッチを入れると簡単なこの曲の紹介があってからこの曲が掛けられた。それまで別のジャンルの音楽しか聴かなかったぼくにとってそれは、大袈裟かもしれないが、その後の人生を大きく変えたと言える」
たろうはいつもにこやかで明るい毛利が突然真面目な顔でたろうに話し出したのに驚いて、出された珈琲に反応してミルクも砂糖も入れずにスプーンで忙しく撹拌した。
毛利は続けた。
「これから少しむずかしい話をするけど、我慢して少し聞いて...。それまで5分位で終わってしまう曲を聴いていたが、この曲は47分以上あった。それなのに曲が掛かっている間中、この演奏は終始ぼくの心を引き付けてしまった。ひとつの曲が一貫してこんなに長い時間心を魅了したのは初めてだった。それは、苦しい思いをして山道を登って来て美しい風景が見えた。そんな感じだった。次は美しい風景のどれを見ようと思った。たろうくんも夏休みの初めは毎日が楽しくて明日は何をしようと考えるだろう」
「うん」たろうはそう言うとまた珈琲カップにスプーンを入れてかき混ぜた。
「そんな楽しみを見つけたんだ。その後も決して平坦ではなかったが、精神的な窮地に立った時にクラシック音楽はぼくをある時は励まし、ある時は慰めてくれた」

ふたりは兼六園下バス停近くにある珈琲店を出ると駅へと向かった。
「まだ少し時間があるから、駅まで歩こうか。今日は疲れただろう」
「ううん。とても楽しかった。また遊びに来ていいですか」
「もちろん。でもしっかり勉強しないと、ぼくみたいになるよ」
毛利の一言でたろうは現実の世界に引き戻されたようだった。
「高校に入れたら、また遊びに来ます」
毛利は、たろうに言った。
「電車に乗るまでは今日あったことの余韻を楽しむといいよ。金沢は、古い文化を大切にする街だ。蓄音器やSPレコードに限らず、その文化を継承させて行くのは、何も地元の人だけでなくとも、金沢の街を愛する人であれば誰でもいいと思うんだ。中学生には少しむずかしかったかな」

しばらくするとふたりは金沢の駅に着いた。毛利がLPレコードの入った紙袋をたろうに渡すと、たろうは礼を言って、それを抱きかかえるようにして改札口へと向かった。