憧れの大キレットへ       


昨年槍ヶ岳登頂後穂高縦走という大胆な計画を立てながら、槍沢を過ぎたところでコースを間違え氷河公園から天狗原へ行ってしまい、翌日大雨になったこともあり結局雨中に槍ヶ岳に登っただけで帰途に付いた、私ことふくいえむは、今年(2004年)も北アルプスの夏を満喫してきました。

今年の目標は、とにかく南岳小屋からできるだけ穂高を縦走しようというもの。そのためには、充分に体力をつけておこうと毎日腿上げ、腹筋に励みました(日課として、腿上げ1時間、腹筋前後左右各千回。休日はその倍)。また、5月、6月、7月と各1回ずつ比良山に行き、約10キロの荷物を担いで昇り降りしました。比良山は公共交通機関が今春よりなくなったため、JR比良駅より歩かねばならず、私の場合全行程(比良駅-イン谷口-青ガレ-金糞峠-八雲ガ原-武奈ガ岳-ワサビ峠-中峠-金糞峠-青ガレ-イン谷口-比良駅)約8時間を要しました。

一応それなりの体力をつけたつもりで穂高縦走に望みましたが、体力だけでなく少なくともあと2つは必要なことがありました。1つは高所に対する恐怖感の克服。これについては、昨年と比べると大分軽減されていることに天狗原を登っている時に気付きました(迂回路ができたりして昨年に比べ歩き安くなっていましたが)。昨年は雨中に南岳から槍ヶ岳に向かっている時も、高所を歩いている恐怖感があり、大喰岳の山頂近く(このあたりは広場のようになっている)に着くまでほとんど休憩せずに歩いたものでした。今年はその恐怖感はありませんでした(やはり慣れでしょうか)。もう1つは、ルートをはずれないことは勿論、ひとつひとつの行程を丁寧に辿っていく冷静さと判断力。これについては、普段は感情に左右されやすい自分をできるだけ冷静になり安全なところに着くまでは気を引き締めて行くことで克服することにしました。とにかくマーカー(白ペンキ印)から外れることのないように気を付けました。

昨年と同様に京都から夜行急行のちくまで松本に行き、電車とバスを乗り継いで上高地入りし、朝食を取った後午前7時少し前に南岳小屋を目指して歩き始めました。昨年同様槍沢ロッジで昼食を食べた後しばらくして、槍ヶ岳へ向かうルートと天狗原へ向かうルートの分岐点に差し掛かりました。この時晴天で槍ヶ岳がよく見えたら、天候の良い時に槍ヶ岳の山頂に登ることも考えたでしょうが、生憎槍沢ロッジにあるフィールドスコープで槍ヶ岳を見ることができなかったため、迷わずに天狗原へと向かったのでした。午後2時過ぎから雲が広がり出し、遠くで雷鳴がしたり、大粒の雨が突然降り出したりしました(すぐにやみましたが)。午後4時前に南岳小屋に到着。管理人の方に出来れば明日穂高へと向かいたいと自信なげに言うと、『長谷川ピーク』と『飛騨泣き』の写真を見せられ、「北穂高岳に向かう途中の大キレットには、このようなところがありますがあなたは通過する自信がありますか」と問いかけられました。私は、「そのために来ましたから」と答え、部屋へと向かいました。その後同室になった方から、大キレットも難所だが、その後の最低コルを過ぎて涸沢岳山頂へ向かう辺り、またその先も下山せずに縦走するのなら、西穂高岳に向かうルートも岳沢経由で下山するルートどちらもかなりきつい。西穂に向かうルートは『ジャンダルム』、『ロバの耳』などの危険なところがあるだけでなく、それと同じくらい危険なところが8時間以上続くルートであり体力も必要、岳沢を経由するルートも奥穂高岳から前穂高岳へと向かう吊尾根は事故が多いと言われました。夕食後、南岳小屋の南側の高台に登り北穂高岳を望むと、大キレットを経由して北穂高岳に向かうルートを少しの間見ることができました(すぐにガスで見えなくなりました)が、大キレットの底がどれ程下まであるのかわからず、その後細い尾根を登って行くのは本当に大変そうだなと思いました。とにかく明日雨が降ったら中止せざるを得ないし、天候が良ければその時に穂高方面に行くかどうかを決めようと思い部屋に戻りました。

翌朝起きると良い天気でした。朝食の前に昨夕と同じ場所に行くと、昨日のようなガスがほとんどなく遠くの方まで見渡せました。そしてそのすばらしい眺望を見てすぐに思いました。少しでも長い距離を縦走したいと。南岳小屋を午前6時前に出発。管理人の方に穂高に向かう旨話すと「一緒に宿泊された年輩の女性も今から同じルートを行かれるそうですから、大丈夫でしょう」と言われ、笑顔で送っていただいた。

ウォーミングアップも兼ねて、まず南岳山頂を目指しました。その朝は山頂から北を見ると槍ヶ岳、南側を見ると穂高連峰がよく見渡せました。一息つくと、すぐに大キレットへと向かいました。大キレットへの標識に従ってしばらく行くと、岩場の下りばかりが長く続きました。梯子が2、3ケ所ありクサリ場もある急峻な岩場でしたが、高所を歩いているという恐怖感はあまりありませんでした。時折切り立った断崖もありましたがその反対側はなだらかでした。自分で半分位(南岳から北穂高岳へは約3時間の行程とガイドブックにある)来たかなと思ったところで2人の山岳救助隊の方々と出会ったので、あとどれくらいですかと尋ねると、「今3分の1位ですね。ここからはきついところがあるから気を付けて行って下さい」と言われた。それからしばらくして長谷川ピークに差し掛かりました。約15分ほとんど壁と言っていいような坂道を登るとそこから突然見晴しが良くなり、両側が断崖のところがしばらく続きました。ここは本当に緊張の連続でした。A沢のコルでしばし休んだ後もう1つの難所飛騨泣きに向かいました。鎖で3、4メートル絶壁を登る所は少し緊張しましたが、長谷川ピークに比べるとあっという間に通過したという感じでした。その後も急な上り坂が延々と続きました。特に北穂高小屋手前のロッククライミングと急な登り坂が交互にある所は本当に厳しい体力を消耗するところでした(あと200mの表示があってから小屋に着くまで、何と長かったことでしょう)。この地点で前方に一人の男性がおられるのに気が付きました。その方も長い急な登りに困られていたようでしたが、私が青息吐息になっているのを見て、もう少しだから頑張れと合図を送って下さったのでした。北穂高小屋に着いたのは、午前10時。南岳山頂を出発して約4時間経過していました。

北穂高小屋の手前で頑張れと合図を送って下さった方は齊藤さんという方で、槍、穂高には何度も来られている方でした。北穂高小屋の前のテラスで齊藤さんと話しをしていると10分もしないうちに突然大粒の雨が降り始めました。前日の天気予報で大気の状態が不安定と聞いていた私は、すぐに奥穂高岳方面に行くことをあきらめ、下山することに決めました。ただ、北穂高岳から涸沢に下山するコースは落石が多く、その意味で危険と聞いていました。齊藤さんにその辺りのことをお伺いしていると、「この天候では当初予定していた西穂高岳方面へは行けなくなりました。私も下山し今夜は涸沢でテントを張ろうと考えていますので、一緒に涸沢まで行きましょう」と言って下さいました。

齊藤さんとの会話は楽しかったのですが、下れど下れど急な岩場が続きうんざりしていたところだんだんと空が暗くなり雷鳴がし始めました。そして雨が降り始め、やがてかなり激しく降り出しました。ハイ松の(根の)下に雨宿りができそうなスペースを見つけ、しばらく様子を見ることになりました。その後10分もしないうちに雷鳴が激しくなり、稲妻も走りました。前穂高岳他3つの山に同時に落ちる稲妻や奥穂高岳の辺りを横に長く走る稲妻や進行方向の山に落雷があり、その辺りが白い丸い雲のようになっているのも見ました。雷が鳴らなくなったところで、齊藤さんは決断され引き続き下山することになりました。涸沢小屋に着いたのは午後4時頃でしたが、小屋に着くとすぐに雨が滝のように降り始めました。もう少し到着が遅れたら、雨具を着ていてもかなり濡れていただろうと思うと齊藤さんの判断は的確なものだったと思いました。あまりの豪雨だったため、齊藤さんもテントはあきらめ、涸沢小屋に私と一緒に宿泊することになりました。

翌朝、朝食前に(午前5時頃)テラスに出ると、昨日の雨がうそのように晴れ渡っていました。齊藤さんは、「あれが奥穂、あれが前穂、あれが涸沢岳でその右が涸沢槍、奥穂からザイテングラートが下りている」と説明して下さり、私は昨日あまり撮れなかった写真をその説明を聞きながら撮ったものでした。

午前7時に涸沢小屋を出発。屏風パノラマコースから行きませんかとの齊藤さんのお誘いをお断りし、横尾を目指しました。その後齊藤さんとは徳沢で別れ(齊藤さん本当に有難うございました)、上高地には正午過ぎに着きました。昼食を取った後、バス、電車(松本電鉄-特急しなの-新幹線のぞみ-JR京都線)を乗り継いで家に着いたのは午後7時過ぎでした。

大キレットを通過し、天候が怪しいから急いで穂高岳山荘に行こうとあせって行っていたら、涸沢岳山頂近くの尾根で雷に会い大変なことになっていたでしょう。単独で下山しあせって下りていたら、やはり雷にやられていたかもしれません。そのあたりの判断がきっちりと自分でできるようにならなければと思います。また、日頃から筋力トレーニングで鍛えたといっても1日10時間山道を歩き続けるのを3日続けるのは難しい。私の今の体力では2日はもっても、3日目はもたないと思います。この辺りを克服しないと、穂高縦走は難しいと思います。でも、ジャンダルムには一度行ってみたいので、明日から来年のための準備に入ります。

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