急峻な岩場が続く北穂、涸沢岳

 

私ことふくいえむは、去年同様今年もできるだけ穂高縦走をしようと、梅雨明けしてすぐに上高地入りしました。行く前からひとつ、心配なことがありました。今年、長野地方では梅雨の時期に豪雨があり、新島々から上高地へ行く道が土砂崩れで通行止め(2005年7月28日に復旧予定)となり迂回路を通るため、松本から電車とバスを乗り継いで行くと1時間から1時間30分長くかかると聞いていたのです。出発時刻が1時間30分も遅くなったら、初日の目的地、南岳小屋に着くのは午後4時を過ぎてしまうなと思いながら、午前4時過ぎに松本駅で夜行急行ちくまを下り松本電鉄のホームに下りたところ、ホームの中程のあたりから、「タクシーで行きませんか、500円高い(3000円)けれど、1時間早く着きますよ」と声が聞こえた時には、迷わずタクシーで上高地入りすることに決めました。

いつものように上高地で朝食を取り、午前6時30分には出発しました。歩き始めてすぐに小雨が降り始めました。もちろん見通しも悪く、河童橋付近から穂高連峰は見えませんでした。それでも徳沢を過ぎる頃には雨は止み、槍沢ロッヂに着く頃には薄日が差して来ました。いつものように槍沢ロッヂで早い目(午前10時)に昼食を取りましたが、相変わらず見通しはききませんでした。天狗原へと向かう道と槍ヶ岳へと向かう道の分岐点から氷河公園のあたりまで槍ヶ岳が姿を見せるかとしばしば振り返りましたが、殺生ヒュッテあたりくらいまでしか見えませんでした。少し天候が怪しくなって来たので、早足で天狗原まで上がりました。最初に登った時は余りの恐ろしさに登って2、30分間は動けなかったのですが、3回目ともなると少し余裕ができ、何枚か写真も撮りました。南岳小屋には、午後2時30分に到着しました。夕食まで3時間、横になるわけにもいかず(夜行急行ちくまで3時間ほどしか眠れず8時間程山道を登ったので、一度横になると熟睡してしまうと思いました)、談話室でテレビを見たり、廊下にある丸椅子に腰掛けて外を眺めたりしていました。夕食を取ると、翌日に備えてすぐに寝ました。

2日目。朝食前に南岳小屋の裏手にある大キレット、北穂高岳を見渡せる場所にしばらくいて、写真を撮りました。午前5時40分にまず北穂高岳を目指して出発しました。昨年も大キレットを通過しましたが、昨年よりは余裕がありました。昨年は何とかして北穂高岳に着かなければという悲愴感のようなものがありましたが、今年は少し恐怖感を感じる場所があるが何とかなることを知っていたので、またリュックを下ろして何度も休憩を取りながら行っても時間的余裕があることを知っていたので、楽しみながら行くことができました。それでも長谷川ピーク付近は、やはり恐怖感を持ちながら歩きました。長谷川ピークを過ぎたところで、嶋田さんとお会いしました。飛騨泣き、北穂高小屋手前の急勾配のところは嶋田さんと話しをしながら登りました。早い昼食を取り、午前10時過ぎに、嶋田さんと共に涸沢岳に向け出発しました。嶋田さんは、25才で穂高ははじめてなのに、本日穂高岳山荘に宿泊し、明日は奥穂高岳からジャンダルム、西穂高岳に行かれるとのこと。しばらくご同行しましたが、涸沢槍の手前で先に行っていただくことにしました。

正午を過ぎたあたりから徐々に天候が悪くなって来ました。結果的にそれが良かったと今思っています。ガスで下方が見渡せなかったため、恐怖感を感じずに済んだのです。北穂高岳から涸沢岳山頂までは、大キレットよりはるかに恐ろしいと思いました。「えーっ、こんなとこ行くの」と言うのが、大キレットでは長谷川ピークだけでしたが、北穂高岳から涸沢岳山頂までは5ケ所以上あったと記憶しています。断崖絶壁を細い足場と鎖を頼りに数メートル進んだり、足をかけるところがない岩場を鎖を引きながら5メートルほど登ったり、涸沢槍のようにすべての方向に見通しの良い急勾配を鎖で登ったり、これでもかこれでもかと急峻な岩場が続いたりしました。その上、涸沢槍を過ぎた頃から小雨が降り始めました。涸沢岳の手前に着く頃にはとうとう視界がほとんどきかなくなり、雨も強く降り始めました。時計を見ると午後1時30分。とりあえず1時間、様子を見ることにしました。雨具を身に付け、緊急避難用に購入したツエルトを広げ、自分は中に入らずにリュックだけをその中に入れました。少し空腹を感じたので持参したミニサラミとチョコレートを食し、ガスがなくなり、雨が止むのを待ちました。私の前には20名余りの団体がおられましたが、私同様移動するのは危険と考え1時間余り動かずにおられたようでした。1時間余りすると雨が止み、ガスも徐々になくなり始めました。涸沢岳の山頂まではいくつか恐怖感を感じるところがありましたが、山頂を過ぎてからは危険なところはありませんでした。山頂でお会いした広島から来られた親子連れの方(石原さん親子)が、時間を持て余したので、穂高岳山荘から来たと言われました。どうやら無事に穂高岳山荘に着けそうだと思うと、ほっとしました。

穂高岳山荘に入り宿泊の手続きを済ませて部屋に入ると、隣同士となった菅野さんが話しかけてこられました。菅野さんは65才でしたが、本日槍ヶ岳山荘から穂高岳山荘まで来られたとのこと。また毎年のように槍、穂高に来られ、昨年は初めて奥穂高岳、ジャンダルム、西穂高岳のルートを行かれたとのこと。私よりも20才近く年上なのに頑強で贅肉がまったく存在しないようでした。ロビーに行くと嶋田さんがいました。台風の影響で天候が不安定とのことでしたが、やはり西穂高岳の方に行かれるとのこと。私は奥穂高岳から吊尾根、前穂高岳、岳沢を通って上高地に出たいと言いましたが、少しでも天候が悪ければ、ザイテングラートを通って下山しようと考えていました。

3日目。午前4時30分過ぎに星を見ようと屋外に出ると、ご来光が見られそうだとの話しを聞きました。菅野さんとしばらく待っていると、穂高岳山荘の正面より少し左手あたりの空が明るくなり出し、やがて雲海と空の境界あたりが金色に少しずつ輝き始めました。破線から実線にそして半円となりやがて強い光を放つ太陽が現れました。今回の山行きでしばしば頭の中で、R.シュトラウスの「アルプス交響曲」の旋律が鳴り響きましたが、この時はその主旋律が重厚に鳴っていました。

朝食を食べて屋外に出ると、かなりガスが出ていました。一緒に朝食を食べた菅野さんに奥穂、前穂に一緒に行きましょうと言っていましたが、ガスを見て今回は無理しないことにしました。私の場合、写真を撮ることが登山の目的と言っても過言でないので、朝からガスが出ているのではその目的を果たすことは難しいと考えたのです。菅野さんが奥穂方面に出発してすぐに、私はザイテングラートを涸沢に向かって下りて行きました。ザイテングラートは初めてだったので、涸沢まで2時間かけてゆっくりと下りましたが、涸沢を過ぎてからは2度目だったので先を急ぎました。途中2度転びましたが、4時間で上高地に着くことができました。涸沢は今の時期カラフルなテントの花が咲いて賑わっているのですが、今年は残雪が多いためか昨年の5分の1くらいしかテントがなく、少し寂しかった気がします。

午後0時40分発のバスで上高地を出発しましたが、隣の席の高杉さんと話しがはずみました。高杉さんは今回はじめて槍ヶ岳に登られたとのことでした。高杉さんは38才で今後、穂高にも挑戦したいと言われていました。私が25才で穂高縦走を果たした嶋田さんのことを高杉さんに話すと、25才で登山の面白さを熟知しているし今後たくさんの登山も可能だし羨ましいと言われていましたが、私もそう思いました。

私が今回の登山から帰った翌日、嶋田さんからメールが届きました。奥穂、ジャンダルム、西穂に行ったが、無事だったとのこと。ただ道が整備されておらず、もう一度行きたいとは思わないと書かれていました(大キレットには行きたいと書かれてありましたが)。メールを読んで、嶋田さんは次にどこを目指されるのだろうかと思いました(盆休みに鹿島槍に行くと書かれてありましたが)。私はとりあえず大キレット、北穂、涸沢岳、奥穂、前穂のコースを来年こそ完全走破できるように、明日から筋力トレーニングに励もうと思いました。

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