はじめての八ヶ岳         


9月の下旬になって3連休の取れた、大阪府高槻市在住の私ことふくいえむは最近になって急に登りたくなった八ヶ岳に行って来ました。八ヶ岳に急に登りたくなったのは、東京で「LPレコードコンサート」をした帰りに立ち寄った渋谷の旭屋書店で「関東周辺楽しい山あるき」(るるぶ社)を購入し、その本の八ヶ岳のページを見たからでした。今まで私の思い込みでは、八ヶ岳は登山口から赤岳山頂までかなりの時間がかかり多くの山が連なるので、数日かけないと山登りを楽しめないと思っていたのでした。ところがこの本を読むと「アルペン的山容と高山植物の宝庫八ヶ岳の主峰赤岳に登る 歩行時間9時間40分」とあり、朝の6時頃に出発したら夕方の4時には下山できるなと考えたのでした。当初は夜行電車や夜行バスを利用し登山口まで早朝にたどりつき、山登りを終え最終の特急で帰れないかと考えましたが、乗り継ぎがうまくゆかず、結局、京都から(9:25)特急を乗り継いで(塩尻でしなのからあずさに乗りかえ)茅野に行き(13:27)、バスで美濃戸口(登山口)まで行きました。


美濃戸口に着いたのが14:30、15:40には美濃戸に着きました。八ヶ岳が初めてで少しでも情報をと考えた私は休憩を取った土産売場で店員に八ヶ岳の詳しい地図がないかと尋ねたところ、「2万5千分の1の地図を持たないで登山するなんて常識では考えられない」と言われました。私が、ガイドブックで充分だと思ったのですが、万一日が暮れて道に迷った時の用心に欲しかったと話すと、「ガイドブックの地図ですまそうなんて考えられません。それより今から先を目指すのは無理です。予約は入れてあるのでしょうね。入れていない。食事の都合もあるし、午後4時には山荘に着くのがマナーというものです。午後5時以降に予約なしで泊めて下さいと言って泊めてもらえなくても、ルールを守っていないので、仕方がないと考えるのは当然のことです」と言われました。私はすぐに時計を見ました。〔15:45〕私は、店員にごちそうさまと言うと赤岳鉱泉を目指して早足で(時に小走りで)歩き始めました。


ガイドブックでは2時間の道程も努力の甲斐あって(?)16:55には到着しました。『これでなんとか宿泊はできるぞ。でも遅くなったんだから、最初はあやまらないといけないな。』と思ったので、私は、到着が遅れてすみません。遅くからすみませんが宿泊させていただけますかと話すと応対に出た女性は、「別に問題ないですよ」と言われたので、思い切って食事を用意してもらえるかと恐る恐る尋ねてみると、「問題ないですよ。お弁当は必要ですか」と言われました。私は思っても見なかった展開に、声を上擦らせて、お願いしますと言いました。


部屋に案内され、中に入ると30代位の男性とその息子さん(小4)が先客で入室しておられ、少し話しをしました。近くの大泉村から来ておられ、赤岳からの雄大な景色を息子さんに見せたいので来たと話されました(赤岳山頂からご自宅が見えるとも言われていましたが)。赤岳鉱泉には温泉があり、受付で食事の前に入るよう言われたので入りました。食事の時間が来て、食堂に行くと同室の方以外には50代位の夫婦がいるだけで本日の宿泊客は5名とのことでした。食事の時の話題の中心はやはり明日の天気でした。あまりよくないが大雨にはならないだろうとの天気予報に、少しでも雲が切れて稜線が見えればと願ったものでした。同室の方々は私と同じように赤岳へ、50代位の夫婦の方々は硫黄岳へ明日向かうとのことでした(他に大泉村の天文台の話しが出ました。食事の後、外に出ると雲間から星空が見られ、そこだけぎっしりと星が見られました。山梨県八ヶ岳南麓天文台の串田麗樹さんが14個もの超新星を見つけられたのも、八ヶ岳という観測に適した場所で観測されているからではないかと思いました)。


翌朝午前6時過ぎに、同室の方より一足早く出発し赤岳を目指しました。行者小屋に着いたのは7時頃でした。ここを過ぎると、傾斜も急になりガスの切れ間から八ヶ岳の雄大な景色がうっすらと見えました。地蔵尾根には2ケ所にお地蔵さんが置かれていますが、手前のお地蔵さんのところで休憩することにしました。それまでにも何度か下方を振り返りましたが、たまに行者小屋や赤岳鉱泉の建物が見えるだけで上方はほとんど視界がききませんでした。お地蔵さんのところで何枚か写真を撮りましたが、出来上がりを見ると見通しの悪い足場だけがわかるようなそんな写真しか撮れませんでした。気を取り直してさらに進むと、もう一体のお地蔵さんが現れ赤岳への稜線に出ました。風が強くなり雨も少し降って来ました。赤岳展望荘を過ぎ幅の広い稜線に出た時に一番風雨が強くなり、先を急ぎました。その後山頂まではガレ場が続きましたが、山頂近くで突然現れた小鳥に先導され何とか9時前に赤岳山頂小屋に着きました。50m程進むと、碑や祠が立ち並ぶ赤岳山頂に着きました。何とか見通しがきかないかとしばらく待ちましたが、相変わらず視界は10m程しかきかず。赤岳山頂小屋でコーヒーでも飲んでまた戻ったら晴れているかもしれないと思い、約30分小屋で時間をつぶし再び山頂へと戻りました。


山頂に戻ると、同室だった親子連れの方が来ておられ、「視界がききませんね。天気が良ければ富士山が見えるのですが、自宅もこの方角に見えるのですが」と言われました。私が今まで赤岳山頂には何度登られましたかとお聞きすると、「4回です。そのうち1回は富士山がきれいに見えたのですが」と言われました。もう少しねばってガスが切れるのを待つと言われた親子に別れの挨拶をして山頂を後にしました。下山は文三郎道を下りましたが、阿弥陀岳との分岐点を過ぎてしばらくは赤土の上に小石がたくさん転がっている傾斜の急な道が続きました。すべりやすく、私は3度尻餅をついてしまいました。このあたりから行きちがう人が多くなり、その中に大阪の羽曳野から来たと言われる脇さんがおられました。休憩してゆっくりとお話ししたかったのですが、初めての道で天候がよくないため脇さんには失礼して先を急ぎました。行者小屋に着くまでに何度か雨が強く降り、雨具を着ようかと思いましたがすぐに止んだため着ずにすみました。


行者小屋に着いたのが11時すぎ。赤岳鉱泉でつくってもらった弁当を食べました。ここで茨城県から車を飛ばして来られたという男性と会いました。この方は、少し美濃戸口で休んだあと早朝から登り始めたとのこと。この男性は私の逆のコースを行くようでしたが、美濃戸口まで戻れるのか少し気になりました。行者小屋からの下山コースは2つあり、ひとつは赤岳鉱泉を経由して南沢を通るコース、もうひとつは北沢を下るコースで、私はガイドブック通り後者を選びました。ガイドブックでは、美濃戸まで所要時間1時間30分と書かれてあったのですが、私が美濃戸に着いたのは行者小屋を出て1時間45分経ってからでした。美濃戸から美濃戸口までは車も通れる広い道を歩くだけでしたから、土産売場をのぞいたりしてのんびりと歩きました。


美濃戸口発14:47のバスで茅野に行き、16:00JR茅野駅前発の長距離バスで大阪へと戻って来ました。帰路のバスでは、隣の席に座られた廣瀬さんから登山の楽しいためになる話しを聞くことができました。廣瀬さんは登山歴28年で中部地方のめぼしい山はほとんど登られ、北アルプスの危険なところにも何度も行かれたことがあり、とても参考になるお話しを聞くことができました。廣瀬さんは千里ニュータウンで、私はJR新大阪駅のバス停で下車しました。


八ヶ岳は、道が整備されていて安心して登れる山だと思いました。晴れて見通しがきくと高いところにいる恐怖感が生じるかもしれませんが、私が登った日は視界がきかずそのためかもしれませんが、一度として、「(高くて)恐いな」と思ったことはありませんでした。八ヶ岳の広告の写真で展望小屋から山頂にかけての稜線の写真をよく見ます。一見して結構険しそうに見えますが、実際に登ってみると1時間足らずでそんなに苦労しないで登れることがわかります。夏に行った北アルプスでも感じたことですが、登山のコースは整備されつつあり恐怖感を引き起こすようなコースはあまりありません(皆無ではありませんが)。むしろ私が恐れるのは、悪天候、人がおこす落石です。天候については悪天候では決して無理をしないと常に意識していれば大丈夫ですが、落石は自分ではどうにもならないことがあります。回避の方法としてはなるべく前後とも間隔を取り(そのためにも危険な箇所で人をやり過ごせるだけの時間的なゆとりが必要だと思います)、自分では落石させないように心掛けることが大切だと思います。


もう一度、八ヶ岳に行ってみたいと思っています。次の時は赤岳鉱泉で1泊し、硫黄岳、横岳、赤岳、中岳、阿弥陀岳を縦走し赤岳鉱泉でもう1泊し帰阪したいと思っています。その時には、どうか良い天気でありますように。

                     戻 る