大いなる遺産について その2

私は昨年(2011年)10月3日に「こんにちは、ディケンズ先生」(船場弘章著 近代文藝社刊)という
小説を出版したのを機に、ディケンズ・フェロウシップ日本支部の会員にさせていただいていた。この協会では
春季と秋季の総会や年報などでディケンズに関する様々な情報に接することができ、知的好奇心も大いに刺激される。
英語があまりできない私でも十分に楽しんでいるので、ディケンズの小説を長年愛好されている方、
ディケンズ・ファンとの交流を望まれている方は是非会員になられることをお勧めしたい。
「大いなる遺産」については、今のところ6つの翻訳があるが、昨年読んだ日高八郎訳については
このページに感想を書いたが、今回は昨年に出版された、佐々木徹訳(河出文庫)について感想を書いてみたい。
(佐々木氏は先に紹介した、ディケンズ・フェロウシップの日本支部長(世界的な愛好家団体なのです)をされていて、
 会員である私は昨年の秋季総会で佐々木支部長の講演を聴かせていただいた)
まず佐々木訳は読者が楽しめるように様々な配慮がなされてる。読み易くするために平易な言葉を用いるだけでなく
活字も程よい大きさにしている。また註を後ろにまとめて掲載するのでなく、見開いた最後のところに掲載しているので、
註を見るのが煩わしくない。ディケンズは「大いなる遺産」を週刊の連載小説として執筆していたが、その切れ目の
ところに★印が入れてあり、ディケンズが次の号の購買意欲を読者に起こさせるためにどのようなシーンで区切りを
つけたのかがよくわかるようになっている。そして会話文の中に難しい表現や古めかしいところがないので、
どの会話もシーンが変わるまで淀みなく読むことができる。
佐々木氏は解説の中で、一人称で回想する語り手のピップを60過ぎの男性としており、実際問題として、
われわれは背後のディケンズという存在を忘れられないと書かれている。私もこの小説の中で、ピップが
自分の言い分を述べているが、これは間違いなんだよとディケンズが仄めかしているような場面にしばしば
出くわす。その顕著なところが、エステラが成長してピップと会う場面である。第38章のピップがリッチモンド
を訪れた時にエステラと交わす会話のところでは、ピップが自分の気持ちをわかってくれないと苛立つエステラの
様子を描いてみせたり、第59章(最終章)でのエステラの発言とは裏腹な情景描写を読むと、もしかしたら
エステラは途中からピップに好意を寄せるようになったのではないか、この小説はハッピーエンドではないかと
勝手な想像をしてしまう。
この他、親友のハーバート、郵便ポストのような口のウェミックそしてジョーとの会話も臨場感があって
細部にわたるまで理解しながら読み進めることができた。
佐々木訳の帯のところに「イギリス小説の金字塔」と書かれてあり、これはこの小説について極めて適切な表現であると思う。
それはあまり恵まれない環境に育ったピップが紆余曲折を経て思いやりを持った大人に成長する過程をディケンズらしい
ユーモアとウィットに富んだ暖かみのある文章で描いているという点だけでなく、ディケンズがジョー、ハーバート、エステラ、
ミス・ハビシャム、ジャガーズ、ウェミック、プロヴィスなど魅力的な登場人物を愛情を込めて細部まで描いているからである。
ディケンズの小説のどれを最初に読めばいいのかと迷われている方に、「この本がいいですよ」とお薦めしたい一冊である。