「パミラ」について

このサミュエル・リチャードソンの小説は研究社から別の翻訳が出ているようですが、私は以前からいつかは読んでみたいと
願っていた、スターンの「トリストラム・シャンディ」とで1冊の本となっている、筑摩書房から1966年に出版された、
世界文学大系第33巻の方を読みました。とにかくこの本は凄い本で長編小説が2つ入って696ページもあり、しかもA5より少し
大きめのページに3段30行21字のレイアウトとなっており、通勤電車で読むのには少し勇気がいる黒いハードカバーの本なのです。
この本とのおつき合いは、私のホームページに掲載している「こんにちは、N先生」に少し書いていますが、大学1回生の秋にたまたま
帰りのバスでドイツ語のN先生と一緒になり、バスの中でイギリス文学の楽しいお話を聞いたことに始まります。その時、N先生はたまたま
鞄に入れておられたこの本を取り出されて、私に「イギリス文学に興味を持っているのならきっと面白いだろうから、ページをめくって
みなさい」と言われたのでした。その時の印象は、「パミラ」は(手紙と日記で構成されたものなので)ぎっちり活字が並んでいて、
とても読めそうにないなと思っただけなのに対し、「トリストラム・シャンディ」は真っ黒に塗りつぶしたところやマーブルペーパーが
出て来たり変な曲線がでてきたりして、なんだか面白そうだなと思ったのでした。その後「トリストラム・シャンディ」の方は岩波文庫で
復刻版が出るとすぐに読んだのですが、「パミラ」は文庫本が出版されることはなく、電車で気軽に読めない本を買っても読まないだろう
と思って、30年余り古書店や図書館で見かけては巨大な本を手に取り、ぱらぱらとページをめくってはすぐに棚に戻していたのでした。
ところが昨年、日本の古本屋のホームページで、ある古書店が1,500円で売りに出しているのを見て急に欲しくなり、即購入した
のでした。N先生は「パミラ」について、手紙と日記で構成されていて、「トリストラム・シャンディ」やヘルマン・ブロッホの
「ウェルギリウスの死」のように意識の流れが描かれている。リチャードソンの文章は手紙のお手本のようなもので平易でとても美しいと
評されていました。実際この小説はリチャードソンが手紙の見本を書いていたところ、いつのまにかこの物語の原形ができたと言われて
います。
あの頃から30年経過して、この本を読んでみて思ったことを私が語るその前に、この本の後ろの方に掲載されている1954年に
デイヴィッド・デイシズがロンドンで行なった講演が非常に参考になると思うので、少し引用させていただきます。
「リチャードソンが書簡体を援用したのは、彼の生来の気質に合っていたからというだけではない。彼がその道を通って小説に赴いた
ことを思えば不可避なことでありましたがそれだけではない。倫理の葛藤のただ中で情感が揺さぶられる様を刻一刻とその場で記録する
ような小説家にとっては、書簡体が適切な方法であったのです。この方法は効果の点では芝居の独白や現代小説のいわゆる意識の流れ
の手法と通ずるものがあります。私達は登場人物の意識の中に直ちにじかに入ってゆけるのです」
この小説の内容について簡単に触れますと、前半は女中パミラを自分のものにしたいと考えるご主人があらゆる手段を用いて
(今なら明らかに罪に問われるでしょうが、昔むかしのお話としてご主人の行為を認めなければなりません)パミラに襲いかかります。
パミラは神の加護と自らの機知でご主人の悪行を回避します。ここのところがとてもスリリングなのですが、女性が読むと
恐怖を感じられるかもしれません。後半はご主人がパミラの手紙や日記を読んで、その外見だけでなく心の中も清らかで美しく、
知性もあることが分かり悔い改め、パミラも次第にご主人に心を開いて行くのですが、近隣の人や召使いとの会話が平凡で
退屈な場面が続きます。最後の方になってご主人の姉が登場し緊張感が漲り、玉の輿に乗ったパミラを誹謗中傷したり(ご主人と同様に
姉が登場する場面も昔のお話として受け入れなければなりません)、ご主人の過去が暴かれたりする(そうされてもご主人はたいして
反省しないのですが)ところは物語が尻窄みになるのを持ち直させます。そうしてパミラはご主人と結ばれみんなに祝福され、
めでたしめでたしとなります。
最後に、N先生が30年ほど前にバスの中で私に話されたことは、今大変役に立っています。私は、「こんにちは、ディケンズ先生」
(船場弘章著 近代文藝社刊)を一昨年の秋に出版しましたが、この小説だけでなく多くの私の小説に、リチャードソンの書簡体や
スターンの意識の流れを参考にしたところがあるのです。もしかしたら、N先生は将来私が小説を書く時に役に立つと思われて、
先に上げた3つの小説を紹介されたのかもしれません。意識の流れを中心に据え、主人公の意識の流れ、独白、別の登場人物との会話を
充実したものにさせれば、それだけでも楽しい小説にすることができ、情景を丁寧に描くことや際立った登場人物を複数登場させることを
必ずしも必要としなくなるからです。ですが、情景描写に秀で際立つ登場人物をたくさん創造することは小説をより充実した内容のものに
しますので、これからはそういったことも勉強して行かないといけないなと思っています。